昨年のクリスマスプレゼントとして、相方にプレゼントを贈った。
贈ったのは、これ。
小さいサイズを持ってなかったので、耐熱の300mlの水筒をプレゼント。
サプライズだったので、けっこう喜んでくれた。
…にも、関わらず、
今に至るまで、いっこうに使った気配を見せない。
なんで使わないの?と聞くと
「う〜ん、ちょっと使いづらいかなあ」
と相方。
ちぇっ、喜んでたのに。
喜んでいたのは、そのわたしの気持ちであって、モノは別だという。
で、「もう、こうゆうの止めない?本人に贈っても気にいるかどうかわからんし」と、相方。
誕生日、記念日が苦手でめんどくさい相方らしい。
そこで思い出したことがある。
以前ブログに書いた、90代のオバの話しだ。
鎌倉の古本屋でオバが好きそうな古本をお土産に2冊買って帰った。
本を渡した時、喜んでくれたけど、後々聞いたら、その本は2冊とも面白くなかったそうだ。
そこで、オバが言った。
「わたしを喜ばそうとするのはやめてちょうだい。あなたの気持ちはうれしいけど、わたしが喜ぶものは分からないと思うから」
と、キッパリ!
ち〜ん(撃沈)
さらには、かつての友人Mのことも思い出す。
Mはわたしと同じ10月にお誕生日だったので、誕生日プレゼントを用意しておこうと備えたんだけど…
コイツがえらくむずかしい。
彼女からはすでに誕生日プレゼントをもらっていて、これがまた何でもできる彼女らしく、自ら編んだこの靴下をもらった。
実はこの靴下、むちゃくちゃ履き心地よくて、
軽いし、柔らかいし、洗っても毛玉できないし、
前年、色違いのをもらったので、翌年は洗い替えが欲しいと、かる〜くリクエストしてたら、
「なんでや!編むの大変なんやで!」
と、悪態つきながらもコツコツともう一足手編みしてくれたのだ。
なので、彼女へのプレゼントは、けっこうプレッシャーだった。
と、言うのも、Mはめちゃくちゃ好き嫌いがハッキリしているから。
同じようにMにストールをプレゼントした友人K子は、
「ごめん、気持ちだけ貰っておくから、これいらんわ。持ってても使わんし」
と突っ返されたので、次の年は、もうMを直接デパートに連れて行って欲しいものを買わせたという。
選んだのは、ジノリのハンカチだったと(ーー;)
そのMにわたしが贈ったものは、立ち仕事のMに、わたしが履いていてとても履き心地のいいトレッキング用のソックスだった。
最初は「わあ、ええやん!」と喜んだものの、案の定、後になって「これキッツイからいらんわ。誰かにあげて」と返してきた。
それ以来、彼女には何一つ贈っていない。
3人とも、「気持ち」に対しては、ありがとうと感謝している。
だけど、使わないもの、読まないもの、履かないものはいらない、とハッキリいう。
正直過ぎですね( ; ; )
まあ、そうだよね。
わたしはプレゼントを贈るものも、贈られることも(中身はなんだろう?と思いながら包み紙を開ける楽しみったら!)大好きなんだけど、苦手な人もいるんだよね。
前回記事同様、他国への押しつけはいけません。
この人は、贈られるのが苦手そう、と見極めること。
それが大切かも?
それにしても、相方の着ている服や使ってるカバンは、ほとんどM氏からもらったものだ。
なぜなら、「気に入ってるから」
そう、この人は、自分にも人にも正直過ぎるだけだ。
贈り物は、消費できる食い物が一番だと思う。