年末から、いろいろ処分し、片付け、整理をしている。
片付けや収納や模様替えの家いじりがわたしは大好きだけど、
我が家は片付けても、モノが多いから雑然として見える。
だけどわたしも相方もそれが心地いいから(相方は自分の陣地さえあればいいし)、清潔で散らかってなければ、それでヨシとしている。
片付けのYouTubeも見るのが好きだけど、山のようにある中でも最近、特におもしろいチャンネルを見つけた。
整理収納アドバイザーとそのチームがレスキューで週末片付けに行く、「週末ビフォーアフター」https://youtube.com/@Before-AfterというYouTubeがむちゃおもしろい。
おそらくYouTube向けに選んでるんだろうけど、レスキューに行く家の、そのモノの数、散らかり用がハンパない。
家の中は、玄関から足の踏み場もなく、ここはゴミ捨て場か?と思うほど、すさまじい!
こんな家々を見ると、うちが美しい部屋に見えてくる(笑)
これの何がいいって深刻さがないところだ。
ほとんどエンタメになっている。
リーダーであるアドバイザーの女性が個性的でヨシモトかと思うくらい、バシバシ意見を言いながら笑いをとりながらも、その眼差しが温かい。
しかも、なんと言ってもその片付け方がユニーク!
家の主には、まず、どんな部屋にしたいか、ではなく、どう暮らしたいか、を聞く。
誰もたいていは即答できないけど、ヒヤリングしながら、だんだん自分の「心地よさ」のビジョンが見えて来る。
希望を聞いたらテーマを決め、スタッフを引き連れ作業にかかるのだけど、その片付けは決してモノは捨てない。
モノは捨てず、一室のみ「景色を変える」のだ。
まず通称「地獄部屋」という部屋なりスペースなりを作り、そこにバンバンモノやゴミを放り込む。
そして、見事に依頼者の希望通りの部屋を作り上げ、
1室の美しい「景色」を完成させる。
目的は、家主の意識に、この「景色」を刷り込ませることにある。
そこからスタートにして、他の部屋もこうなるためには、処分なり仕分けなりを一緒に始めましょう、となる。
不思議なことに、何から手を付けていいのかわからなかった依頼者が少しずつ意識を変えて、これは要らない、捨てていい、と動き始める。
決して、押しつけず「手伝う」片付けだ。
実は、このYouTubeのようなことが最近、わたしの身近で起こった。
わたしの知人、Aの話し。
もともと、片付けが苦手なタイプではあったけど、最近、いろいろなことが起こり、心身共に疲れ果て、家の片付けどころではなくなっていた。
「なーんもしたくない、動きたくない」が最近の口ぐせで、それを度々聞くわたしは、
「そんな時は何もしなくていい。そういう体のサインだから」と言っていたのだけど、
久々に遊びに行って、リビングやキッチンの荒れように驚いた。
その上、近々息子が嫁を連れて帰ってくるのだという。
それを聞いて、動けない本人を放って、たまたま居合わせた親戚の子と一緒に片付け始めた。
シンクに溜まった生ゴミや洗い物を処理し、ダイニングテーブルや、椅子の上に山積みになったモノを仕分けしながら紙袋に詰め、押し入れにぶち込む。
やっと何とか食卓に空白ができ、座れるようにした。
これで、息子夫婦がきても何とか見映えがするだろうと、思いきや…
甘かった!
実はその嫁は、ミニマリストで完璧主義者。
息子が「必殺直線オンナ」というほど(笑)
配置が直線じゃなければ気が済まず、モノがなく、壁に何一つ飾っていない。
写真を見せてもらったが、断捨離の提唱者からは、メダルを与えられるほどに美しい。
余談ながら、最近読んだやましたひでこ(断捨離を発案し広めたアドバイザー)の本のサブキャッチが、
「しのごの言わずに捨てなさい!」
と、容赦ねえ(^^;
その嫁も同じで、家を見るなり、一緒に部屋を片付けましょう、と言いながら、
「なぜ、スプーンがこんなにあるんですか?小皿はこんなに必要じゃないですよね?」
「この鍋は要りませんよね?」
と、まさに「しのごの」言わせないほどの圧をかけて、バンバン捨てさせたよう。
その量、可燃物、不燃物共に5袋ずつ!
Aのキッチンに皿や箸が多いのは、Aのうちは、雑然としているものの、なぜか来客が多い。
彼女の性格のせいか、ご近所のお友だちがお菓子を持ってお茶しにきたり、いつも賑わっている。
さらに彼女は料理上手で、わたしも行く度に美味しい手作り料理やおやつをごちそうになる。長居したくなるほど、居心地がいい。
一方、嫁の美しい家に人は来ない、呼ばないそう。
お料理もあまり得意じゃないという。
だから、なぜここまで食器や台所道具が必要なのかが理解できないらしく、
息子は、散らかった家に住む「お母さんのために」と慣れ親しんだソファとコタツを処分し、青い美しいソファセットを買い与えた。
嫁たちが帰ったあとに訪ねたら、彼女は新しいソファの上で毛布にくるまり、
「コタツが欲しい…」「キッチンが使いづらい」と意気消沈している。
なんで、わたしのキッチンだから触らないで!と言わなかったのか?
と、問うと…
「だって…わたし片付けられないし、もう、どうでも良くなってきて」と抵抗できなかったという。
よく見ると、キッチンに使いやすいよう吊り下げていたオタマや木ベラや菜箸まで引き出しに入れられて、トイレも彼女が好きだった写真をみっともないと剥がされ、タオルは白がいいです、と嫁に言われてことごとく変えさせられている。
この「抵抗できない」のは、Aの「片付けが苦手」という劣等感からだ。
ミニマリストの嫁が正しくて、自分はそれが間違っている、と思い込んでいる節がある。
昨今、ミニマリストや断捨離がもてはやされている中、片付けが苦手な人は、人格的に劣っていたり、運気が悪くなるなどの風潮がある。
だけど、わたしは知っている。
片付けが苦手なことと、人の価値観はまったく関係のないことを。
事実、わたしの周りで家がけっこうめちゃくちゃで、片付けが苦手だけど、料理上手な知人が何人かいる。
その上、食を事業として成功している人もいて、みんなある程度の成功者でかなりの人気者だ。
わたしのライターの友人も、片付けが苦手なタイプだけど、とてもいい仕事をして、センスもいいし、家の散らかりも全く苦になってないようす。
ただみんな共通しているのは、かなりおおらかだ。
散らかりにはこだわらないけど、自分の仕事にはこだわる。
つまり、こだわるところが違う気がする。
そう、それだけのことなのだ。
片付けに正しいも優劣もない。それぞれがどう暮らしたいか、どこが心地いいか、なのだ。
嫁も悪気はないし、親切心からだろうけど
よその国まで出かけ、自国の正しさ、やり方を押しつけてはならない、と思う。
一人一人、言語も文化も育った環境も好みも違うのだから。
Aももっと自分の心地よい暮らし方、在り方を知り、誇ればいい。
あなたはあなたで完璧なのだから。
そんな話をすると、Aは、だんだん元気を取り戻し、片付けの続きをしに帰るという嫁に、今度はちゃんと言うという。
「手助けありがとう。でも、わたしはわたしの使いやすいよう、気持ちいいようにするから、もう助けはいいわ」
と、言いながら、捨てられた箸の代わりにお客様用の割り箸を買いに出かけた(爆)