長い長い長い長い長い長い………お仕事が
お、終わったーーー(≧∇≦)
いや、長かったーーーーーー!
思えば話を頂いたのが、昨年の6月
打ち合わせは7月。
クライアントのらりくらり…で、なぜか8月まったく動かず。
やっと取材リスト上がったと思ったら今度はアポ取りが(ディレクター担当)進まず。
ついに泣きが入りわたしが全部アポ取りやることに。そして…
やっと取材が始まったのが9月中旬から。取材終わったのが11月初旬。
やっと製作が始まる。サンプル原稿とデザインを出して、中旬あたり原稿提出しようとすると、ストップが掛かる。
サンプル見て、あーじゃねこーじゃね、相談が始まる(行政あるある)
結果、原稿の書き方が当初とまるで違う方針に。
当然ライター2人が反乱を起こす(笑)ディレクターに抗議!
ポンコツディレクターは右往左往(^^;
結局代理店ディレクター(今回2人もいるからややこしい)が折衷案を出し、わたしが書いた原稿をいじくりまわして別のサンプルを作る。
これをクライアントに提示し、ここからまた、「上」の方々の(現場にまったく足を運ばない人たち)あーじゃねこーじゃね合戦が始まる。
やーーーーっとその折衷案が決まって、これで進めてくださいのサンプルが出来合ったのが、
なんと12月2日(おい!)
ライター2人、すでにテンションだだ落ち。
起き上がるのがえらく時間かかる(笑)
けど、だんだん年末までに半分、正月明けに完全提出の圧が掛かり始める。
スケジュール通り年末までになんとか半分上げる。(もう1人の相棒ライターは5つのうち1つのみ提出という勇気ある行動に出る 笑)
そして年明け(まさか年を越すとは思わなんだ)
わたしは残りを初稿前の13日に完全提出❗️
相棒ライターは「できんもんはできません」と腹をくくりディレクターに伝え2校前に出すよう 笑笑
もうね、ホント約半年以上ヘビの生殺し状態だったので、ホント早く解放されたかったよ。
けど、やっとやっと解放❗️
(まだ2月10日の入稿までは気が抜けないけど、とりあえずわたしは放免)
こんなに苦しかったのは若い頃「るるぶ大分」を1人でやった時くらい?(思い出すのもヤだ!)
相方には、そんなに苦しそうに見えなかった、と言われたけど。(^^;
まあ、たしかに…
その間、メシ会もして映画にも行ってハロウィンもクリパーもやって東京にも伊勢旅行にも行って、「今」を楽しんでいましたけどね。ええ。
まあ、これも経験値からの「まだ大丈夫」という余裕でしょうか?
けど、腹の内は…
ちょっと出るものを出してない、というベンピ気味な状態での遊びだったので楽しさも100%じゃなかったのですよ、あれでも。
そのベンピが(きちゃない例えでゴメン!)だんだん溜まってきてストレスになってきてからが、苦しかった。
で、出ねえ…お、重てえ…💩 (泣)
やる気出てからのラストスパートはハイテンションだけど、体力的にけっこうキツかった。
体力養うために珍しくじぶんのために肉とか食ってたし。
生姜焼き作ったけど
半分も食べられなかった。
先週末から休み明けまで何度夜明けを見たことか…
さすがにこの歳で夜明け近くまで起きてたり完徹すると、そのあと廃人状態。
家の惨状もすごい。仕事あとのテーブル。
相方が出張でよかったー!
昨日、今日とゾンビ状態で、明日から復活することに。
それにしても終わってみれば、けっこうおもしろかったかも?(ゲンキン)
なによりスタッフに恵まれた。さすがわたしが選んだだけあるわ。
一人ひとりが思いやりを持って明るく接していたし。
ポンコツディレクターもみんなのディスリ捌け口対象でいい役目してたし(笑)
あとは、Nさんの楽しいお仕事に専念できる。
早速金曜日取材です。
あ、終わったその日に、昨年の11月に取材のオファーがあった住宅雑誌の仕事(すでにオファーあったことも忘れたけど)、「取材お願いできますか?」って今頃電話あったのには驚いたよ。
このギョーカイっていったい…(ーー;)