網の目くぐって…「マッチポイント」

「一日24時間なんて誰が決めたんでしょうね。そのくらいじゃ足りないですよね」とは、営業マンの言葉。
いつもなら一笑する話題に思わず、うなづいてしまいそうになった。
最近、1日や1週間という時間の中に詰め込むものが多すぎて、キャパを越えそうになっている。
この取材をどこへ入れようか、この原稿をいつ書こうか、歯医者はいつ行こう、バレエはいつ行ける、映画はいつ行くんだ!洗濯は、掃除は、銀行は、シェスタは、友人とのお茶はぁぁぁぁ〜!
そんな状況でも、私は無理やり私の空白時間を作る。いや、そんな状況だからこそ、絶対に作る。
今そこにある危機(〆切という名の…)を横目にアマゾンから送られたばかりの本を貪り読んだり、すぐに寝ないと明日の取材に響くというのに深夜DVDを見たり、こんなブログ書いたり…。
当然、最後に泣くのは自分であることは重々承知だが、何もかも終わっての空白時間を待っていたら、永遠にやって来ない。
それに、この過密スケジュールの中で味わうリスクを背負った、空白自由時間こそ、濃厚な蜜の味なのだ。
まあ、それができるのも、過去の吐くような体験を重ねて来たからこそ、堂々とできるようになったのかもしれない。体のどこかがギリギリのところを知っていて、ここまでなら大丈夫、きっとできるというタチの悪い感覚かな。
で、前ふりが長くなったけど、そんなこんなで、「マッチポイント」。
ポカリと空いた空白時間。網の目をくぐるようにして、観て来た。
なぜ、この人が好きだったのかがわかった気がした。
ウディ・アレン
思えば、気付けば、ずいぶん昔からこの人の作品を見続けているような気がする。駄作と言われたものさえ、この人なら笑って見ていた。
自虐的でシャイでNYが大好きなこの巨匠が、この「マッチポイント」ではすべてを捨てていた。
凄いものを観たとしか言いようがない。
凄いものとは、人の魂に触れるものだと思う。いつまでもどこかに残り、誰かに話したくなるか、或いは一人になりたくなるか、私なら、こんなふうに書かずにはいられなくなるもの…そんなものなんだろうと思う。
「マッチポイント」は、日常を描きながら、恐ろしいほど研ぎ澄まされたミステリーのように、人の本質に深く深く入っていく。
ジョナサン・リース・マイヤー扮する「クリス」への罠は、いつでも、どこでも、誰の前にでもあるのだ、きっと。
クリスは人より少し欲望が強すぎただけに、引き寄せる「偶然」も多すぎたのか…。
それにしても、まるで観客が(私だけ?)クリスと一体化してしまう。たびたびのマッチポイントに私ならどうするだろうと、ドキドキしながら…彼の心境と同化してしまう。
息もつかせないほど、ぐいぐいとのめり込ませ、そして迎える、あのラスト!
こう来たか!と唸りたくほど。これさえもウディ・アレンだからこそ…だ。
「立派にならなくてもいいから運の強い子になれよ」クリスの子供を抱えた義父がなにげに吐く言葉の皮肉さが、すべてを物語っているかのようだ。

ウディ・アレンがどんなに人間を観察し、興味を抱いているかがわかる。それに街が大好きで、生活も大好きなのも。
それは私も同じだ。だから、この天才が描くものに目が離せない。

…に、しても、こんな日に限って、たった今〆切を持っているクライアント二人にばったり会うのはなぜ?
こうゆう時、アレン映画の主人公さながらアワワ…と、しなくてもいい言い訳を立て続けにしてしまってる情けなさったら…(泣)
これも私が引き寄せた「偶然」か…?