うれしい話し、かなしい話し、不思議な話し

まず、うれしい話しから。

数日前のこと。わたしの携帯に見知らぬ女性から電話があった。

「あのう、ホームページを見て電話しました。そちらにこばやしゆうさんの器があるとのことで…」

今年の春に展示会をした「こばやしゆう」さんのファンだという方から。

ゆうさんの器を買えるところを探してネットを見ていたら、「風の家」がヒットしたらしい。
わたしの携帯番号は、いろんな人のブログや過去の情報を探っているうちに探し当てたらしい。

聞けば、なんと広島からだという。

広島から豊後大野市までくるのは、ちと遠い。
それで、いまある器の画像とサイズ、値段を送りますので、のちほどメールアドレスを教えてくださいと言って、電話を切ったのだが、なんと、その方、今度はLINEでわたしを探し当ててきた。

それで画像と値段をLINEに送り、商談成立!
いまさらながらだけど、便利な世の中になったもんだ。

お嫁に行ったのは、この子たち。


(売れていくのはうれしいけど…)



(去っていくのは少し淋しい…)


同じゆうさんファンから、しかも広島からわざわざこの田舎の「風の家」を探し当て、マグカップ4つも購入してくれるなんて、ホントにとても感激でした。
発信って大事だなぁ〜。



次は、かなしいお話し。

今月の24日に、母の従姉妹のおばちゃんが亡くなりました。

おばちゃんといっても90歳です。だけどとてもその年には見えず、元気でいつもやさしい笑顔を絶やさず、穏やかな方でした。
レース編みが大好きで、「風の家」の小さな花びん敷きにはおばちゃんが編んでくれたレースを使っていました。







実はこの知らせをわたしたちは後になって知ることになります。


亡くなった知らせを娘さんが電話してくださったのですが、わたしたちは留守。
留守電に入れてくださったのに、最近は家電を聞く習慣がなかったために、気づくのが遅過ぎて、気付いときには、すでにお葬式も終わっていました。

それを知ったとき、ものすごく落ち込んで、お葬式に行かれなかったことが悔やまれて、ほんとうに申し訳ないのと切ない気持ちでいっぱいになりました。

それで、おばちゃんがいつも喜んでくれた相方がつくったベーグルと、お花を持ってお参りに行ってきた。



(おばちゃんに供えるため、相方はなんと朝4時起きで焼いた)


娘さんたちは、わたしがお参りに行ったことで喜んでくださったけど、おばちゃんの写真を見るなり、声をあげて泣いてしまった。
お店に来てくれてありがとう、いつもきれいなレースをありがとうございました。


そして不思議な話しは、続きのような話しだ。

古墳本で執筆を担当してくれたI氏は、実は霊感のかなり強い人だ。
以前もうちの家と裏山の祠まで行って、いろいろと、観てくださった。
「風の家」には女性の霊がいて、この家とこの店を守ってくださっているようだ。
そのI氏が電話をしてきて「こんなこと話していいものかどうか…迷ったんだけど…」と前置きして話してくれた。


26日(木)、古墳本の会議の日のことだ。
その日、I氏は「風の家」に入るとき、いつももように玄関に置いてある両親の写真に黙礼したのだが、そのとき母が何かを知らせたそうな感じがしたというのだ。


そして会議がはじまっているとき、誰かがきた気配を観じとっている。

だけどそれは悪い気配ではなく、むしろ優しい温かい気で「姉」が見守るような霊気だったという。
ただ、その霊はまるで何かを主張しているようで、わたしはここにいるのよ、と。

それはあとで写した写真にもしっかり気配が写っているという。


(わたしにはまったくわかりませんが、わかる人にはわかるらしいです 笑)


それを後で聞いてハタと思いついた。
24日に亡くなったおばちゃんは、母の従姉妹で姉のような存在だった。

母が東京の病院で寝付いているとき、わたしは聞いたことがある。
「いま会えるとしたら、誰か会いたいひとがいる?」と。
するとしばらく考えて母は、一言、「キミちゃん」とそのおばちゃんの名前を上げた。
人嫌いの母が、唯一会いたがって人だった。
会議があった26日は、おばちゃんの葬儀があった日だ。もちろんわたしは何も知らずにいた。
霊感の強いI氏に、母が「キミちゃんの葬儀」を娘に伝えたかったのではないだろうか。
そしておばちゃんは、この家のことをよく話してくれていた。祖母から編み物を教わったこと、ここによく遊びにきていたことなどを。


葬儀の日、この家を継ぐものが誰も来ていなかったのを知り、おばちゃんはお別れに来てくれたんじゃないだろうか?

葬儀は11時に始まったそうだ。ちょうど終わった頃、うちの会議は始まったいる。


もちろん、これはわたしがI氏の話しを聞いて意味づけしたものに過ぎない。

だけど、そうだとわたしは思っている。

おばちゃんが懐かしい従姉妹の家にお別れにきてくれたのだな、と。


お参りにいったあとにその話しが聞けてよかったと思った。