一日を楽しく

昨日の通夜に続き、今日は葬儀だったのだけど、いっぱいたくさん泣いたなあ〜。
じぶんらの両親だったら、それなりの覚悟ができているけど、姉妹だとやっぱりちがうよな。
それもあまりにも突然だったからよけいに悲しく余裕がない。
Nはお姉ちゃんに対して、外面の良さに、いい感情を持っていなくて、いつもいつも不満やぐちを言っていたけど、お姉ちゃんの外での評価はとても高かったようだ。
ひたすらまじめで、ひたすらやさしかったという。
Nしか知らない裏の顔があるだろうけど、死んだあとに、人からこうやって言ってもらえるというのは、それだけきちんとお姉さんが、行動を起こしていたということなんだろう。
わたしもNんちに遊びにゆくといつもにこにこ笑ってやさしく出迎えてくれていて安心できた。
人の表情はいっぱいあるだろうに、思い出すのは、あの笑い顔でしかないもの。
なんだかお姉さんとうちの兄が重なってしまう(だからこそ互いに、姉・兄のグチの言い合に盛り上がったのだけれど 笑)
どこかでだれかをしあわせにしていれば、生まれてきた上での、じぶんの「宿題」を果たしたということなんだろうなと思った。


昨日、建築家のS氏から「あけましておめでとう」の電話がかかってきたのだけど(内容は例によって、わけわからんかったけど、おそらく新年のあいさつを言いたかったのだと理解している)、そのときに友人の姉の通夜に行ったことを話した。
肺癌で突然に亡くなったことを話すと、「何が起こるかわからんからのう」とS氏。
「そうですよね。だから一日を大切に楽しく生きなければいけませんよね」とわたしが言うと、S氏はしばし沈黙したあと、
「楽しくはいいけど、“大切に”は、かなしいぞ。なんだか重いやろが…」
そのS氏独特のセリフは、うちの相方にウけた。
「たしかに、大切にって言われるとプレッシャーがかかるもんなあ〜」と笑っていた。
いえいえ、そうじゃないよ男子たち。
楽しんで笑うだけでも、それは大切に生きたってことだと思うよ。
それと、こうやっていろんなことに気付くこと。気づかされること。
これも大切なことだと思うな。