遠泳ともだち


(デカかぼちゃとデカきゅうりと早生の栗)



(おじさんから大量にいただいた旬のカボス!)


今夜、田舎まちの近所に住む、昔ともだちのカメが、でかいカボチャとキュウリと早い栗を持って遊びにきた。
カメとは、たまにしか合わないけど、会えば時間が過ぎるのも忘れて、いろんな話しをしている。

彼女はドジでタレ目で、ちんたら話すので、わたしのようなクサレなヤツから「カメ」というあだ名を付けられたりする、いじられキャラなんだけど、実はわたしは心から彼女のことを尊敬している。
ド田舎に嫁いでいって、百姓のヨメを立派に果たしながらも、隠れて詩人の顔を持ち、いつもじぶんを見つめることを忘れない。
妻と母とヨメをやりながら、40過ぎて保母の夢を実現し、今は辛くあたられたお姑さんの介護をしている。
ときおり、わたしと会って話すとき、カメはヨメや妻や母を休憩し、素のままのカメの顔に戻るらしい。
わたしも、ことばが少なくて助かるから、何でも話せるし、ことばも少なくてすむから助かる。
昨夜もついつい話し込み、午前1時になるまで話してしまった。

カメといると、いつか知人から聞いた「ともだち」についてのはなしを思いだす。
「ともだち」というのは、たがいに遠泳しているのが理想の関係なんだそうだ。
岸に向かって前に進んで泳いでいて、ふと遠くを見ると同じように泳いでいる友がいる。
「おおーい!泳いでるかあ、がんばれよ〜」と、励ましながらながら、それぞれが自力で同じ岸に向かって泳いでいくような、そんな関係だという。
そうそう! カメとはこういう関係だ。
じぶんのちからで立ち、つかず離れず、依存することなく、リスペクトし合い、じぶんの場所でがんばっている。
カメにかかわらず、長く続いている友人たちとは、みんなそういう関係を保っている。

もしかして、人づきあいの理想はこういう関係かもしれないとも思う。

なんにしろ、こういう友人がいるということは、ほんとうにありがたいじぶんの財産なんだなあ〜
そんなことをあらためてしみじみ感謝できた、ゆたかな夜でした。