誰かがよろこんでくれる、ということがなかったら、
なにがたのしいだろう。
大きな島をひとつ買い取って、
おたのしみの設備をたくさんしつらえて、
おいしい魚や肉や、野菜やくだものを用意して、
腕っこきの料理人を招き入れて、夕食の準備をする。
夕日はどこまでも蒼く、
風はあまりにもやさしい。
楽団がせいぞろいして、
あなたの好きな音楽が鳴り響く。
誰にじゃまをされることもなく、
あなたひとりが、王様としてそこにいる。
あなたひとりのために、すべての贅沢がある。
そう。
あなたひとりのために、すべてはある。
あなたは、おおいによろこぶことができる。
ただ、あなただけが、よろこびをあたえられる。
たのしむことを、あなたはひとりじめできる。
……ただ、そこにいて、
共にたのしむ人は、ひとりもいない。
誰かがよろこんでくれる、ということがなかったら、
すべてがそろっていても、なにがたのしいだろうか。
誰かがよろこんでくれる、ということがなかったら、
ほんとうにうれしいことなど、なにもない。
(『小さいことばを歌う場所』糸井重里著 より)
幸福が現実となるのは、それを誰かと分かち合ったときだ。
(映画『イントウ・ザ・ワイルド』 より)
時を同じくして、同じような言葉が心を打った。
今の私の心境そのまま。
今いちばん大切で、これからの私にもっと大切で、とても必要なこと。