寺修行

北の半島の寺で1泊2日の宿坊をした。修行をし、自らを見つめ、精神を清めるためである。ウソ。仕事じゃなければ、こんな体験は絶対にしない。
三百段の階段を登ったところにある目的の山寺は、携帯も届かないまさに世俗から離れた場所。ここで、裏山の行者が通った山を登り、朝5時起きで鐘付き、座禅、写経をするというのだから嬉しいじゃないか(泣)。でも、実はこういうこと一度やってみたかったからつつしんで引き受けたよ。

   

お昼に付いて、お茶を一服飲んで住職と雑談したら、なんと入山式。神聖なお山に入らせていただきます、と経を読み上げ、香を焚いて清め、白依まで着せられる(チャンチャンコ!)。
奥の院裏の山を登るけど、軽いトレッキングだから」と編集者に言われていたが見事にダマされた。
どこが、軽いトレッキングだあ〜!!
住職が吹くほら貝が響き渡る中に入った山は、昔の修行者が通ったまんまで道なき、道。ほとんどガケをよじ登る。一歩足場や、手のつかみどころを間違えると、下まで転げ落ちてしまうような急なガケを住職に続いて付いて行くのが必死だ。自分なりにどこに足を置こうかとか、あの木につかまった方がいいかな、と考えながらうっそうとした山の奥へ奥へ、上へ上へと入り込む。だけど、不思議に疲れない。街の中の階段を少しでも上っても息が上がるのに、スイスイとどこまでも上って行けそうに体が軽いのだ。まるで、山の精(?)たちが後押ししてくれているような気さえする。約40分ほどそうやって登ったところで、「頂上ですよ」と住職の声。
見上げると光がサンサンと差し込んでいる。最後の一歩を登ると、なんと、周りは360度のパノラマだ!
山々はすぐ目の前に見え、遠くには四国や中国地方が見渡せ、海の上を渡る船まで見える。昔は、源氏が下る赤旗白旗まで見えたという。
最初登る前は、カメラ持って行こうとか、手帳や、ハンカチやティッシュなど、いろいろ考えてリュックにいれたけど、登ってみたら、なんか「何もいらねーなあ」という気になってくる。あの民家を見てごらん、そこで人があれやこれや考え、悩んで、いろんな諍いなどもやっているんだよ、と住職。ちっぽけなものだよなーと。まるで、天から下界を眺めているかのようだ。
その後、軽〜く、「では次にあの山まで行きましょうか」と言われたときには、ウソっ!と思ったけど、あれよあれよという間に、山を越えた。苦しい道のりを行った後の道のりの軽いこと。一歩ずつ足元を見て行けば、いつか光が見え頂上に付くんだなーと、ささやかな悟り(?)を開いたような…

  
  
朝の座禅も不思議と体に馴染んだ。座禅のかたちを教えられ、振り子のように体を動かし、重心を決め、座り方を教わり、静かに目を閉じたとたん中心線が見えたのだ。ああ、この線に沿えば中心がブレないんだな、と納得。そこに合わせて、静かに心を整えただけだったのが微動だにしなかった、と住職に褒められた。朝食を食べた後の写経では、さすがにこっくりこっくり…とやってしまったが、最後は、体験修行の「証」をいただいた。
 
  

これで、おいしい3食付きの精進料理いただいて一万円なのだが、なんと密度の濃い1泊だろう。温泉1泊なんかより、よっぽど体と心にいいと思うし浄化できると思う。
しかし、ありがたいのは、これが「仕事」だということ。その上、この年でこういう体験ができたからこそ、こんなふうに楽しめたんだと思う。こんな「仕事」との出会いが最近、すごく増えたと思う。自分に合っていて、楽しめて、初めての経験で、その上、教えられる。苦手で辛い仕事もいっぱいしてきたから、今があるのかなーと、山超えに通じる心境だ。これには素直に感謝したい。これで相応のギャラも付いていければ言うことないんだけどなあ…って、下界に戻るとそういう現実適気分が戻ってきたりして。