ついに終わった

できる分けないだろう、とか思ってたけど、なんとかかんとか「本」を完成してしまった…。
今日、朝から出張校正で、夕方まで印刷所に詰めていた。4校までやって、そこからできたてのホヤホヤを、また校正。1室に詰めてずーっと女史とふたり延々と原稿チェックしていた。ぎりぎりまで、最後の最後まで彼女と検討していたけど、正直、私は途中で投げていた。昨夜深夜に「4校を手直ししたい」と女史から電話が入ったときから、すでに仕事モードに入ってしまった。
もう、いいや。私の本じゃない。これは仕事なんだから…と。
夕方6時にやっと完成して担当に手渡した後、女史は涙ぐんでいた。うれし涙じゃない。悔し涙だ。
私には泣くほどの愛情が残っていない。達成感もなく、ただ未消化に終わった本。いろいろ考えさせられた。著者である(あれを著者と呼ぶならば)A氏のこと、自分自身のことも、含めていろいろ気付かされたこともあった。
できばえがどうであれ、どう評価されようと、私にとってはいろんな意味で、「いい仕事」だったと思う。
「この仕事をやった意味はきっとあるはずだよ」と相方も言う。
確かに。それが何なのか、まだ、わかってはいないけど、今日、ハッキリとわかったことがある。
もう、この先、A氏の本に関わることは決してないだろう、と言うことだ。
もう、十分だと思う。
彼は愛すべき人で、偉大な人で、尊敬すべき人ではあると思うけど、どうしても相容れない部分がある。そこがすべてとは言わないが、その部分はどうしてもリスペクトできない。たぶん、そこに「真実(ほんとう)」じゃないものを見たからだと思う。
人の中の「真実」が何なのか?
私は子供の頃から、いつもいつも考えている気がする。他者を考えるたびごとに、なら、自分はどうなのか?と問いかけてしまう。
私の中の真実は10代の頃から、自分がずっと偽者だと知っていたことだと思う。
ライターになった頃でも、いつかこの化けの皮は剥がれるだろうから、と自嘲していた部分がある。だからこそ、少しでも本当に少しずつでも、「真実」に近づきたかった。「ニセモノ」の自分に開き直って、止まっていたくなかったから、我ながら努力してきたと思う。
ほんのちょびっとは本物になれたかなあ…とか思っては、まだまだニセモノだあ…と気付かされ、3歩進んで2歩下がったりしながら。
そんなとき、ピカピカのこれは本物のだ!という人に出会うときがある。
そんなとき、決まって私は小さな子供に戻る。日頃、ハッタリやってる自分がスッと素直になって、こんなニセモノは側にいちゃいけないんだ、とばかり縮こまってしまう。反面、こんな人に会えるような自分になったんだとちょっとカンドーもしながら。
しょーがねーヤツだけど、こんな自分を無くしたくないと思う。
ニセモノだと知っている自分を無くしたら、「真実(ほんとう)」に近づけない気がする。
こんなことを感じている未熟で未発達で青い自分がいる限り、まあ、捨てたもんじゃないし、成長もできるのかな…なんて思ったりする。今回の仕事もまた、自分の力のなさを見ただけでも、一つの収穫だったと思う。
けどまあ…何はともあれ、お疲れ様。悔しさが、明日の自分を創るのさ。
目の前には、新しい仕事が目白押しだから、とにかく、前に進まなきゃ。真実一路!