守るということ


(まるで秋のように落ち葉だらけ!)



(せーたかユリが花咲かせました)



(裏山の祠前もていねいに掃いて)



(おおっ!後光が差すほどきれいに)


土地や家を守るためにはなにが必要なのだろう?
いちばん大切なのは、なにをすることなのだろう。
一年以上、家や土地を「守って」きたわたしらにとって、いちばん大切にしたこと、それは、いい関係をつくることだった。
土地との関係、草や花や木との関係、周囲の人々との関係。すべてといい関係を作るためには、その「場」に溶け込むことだ。そこに居れば見えてくるものや、きもちいいこと、ここち悪いことをだんだん感じてくるから。
下水の流れが悪いな、井戸水の味が変わったな、この花がまた咲いてくれた、あの草がまた悪さをしている、ここの土は元気だ、鳥たちが何時頃にやってくる…などなど。
ご近所さんでは、こういうことはあのおばさんに言えばわかる、この人には気を使った方がいい、こういうことは断っていた方がいい、などなど。
生活をしていなければ、わからない情報が自然にわかり始め、しだいにいい関係が育ってくる。
だけど、ここで誤解してはいけないことがある。
こうやって同化し始めると、視線も立ち位置も同じになり、ついつい住み人が「主」だと思い始め、気付かないうちに傲慢さが出てくる。
「守る」などと言うわたしらより、ずっとずっと以前から住んで守ってくれている「主」に敬意を表すことを忘れがちになってしまう。
地といい関係を保つためには、おじゃまさせてもらうこと、使わせてもらうこと、住まわせてもらうことの感謝がいちばん大切なのだ。
わたしたちは、いい「気」に包まれながら、少しイイ気になり過ぎたのかもしれない。
今回いろいろあったけど、「守る」ということにあらためて気付かされた気がして、ほんとうによかったと思う。


ただ淡々と今まで通り、山や家といい関係を作り、敬っていこうと思う。