父母帰る

    

母が亡くなって今日で10日目。
まだ、10日?と思うくらい怒涛の日々だった。
東京での密葬、その後、帰省し、母方、父方の親戚を集めてのお別れ会。
一足先に帰り、その準備に駆け回った。その間、書きたくもないほどの雑用、トラブル、アクシデントの連続!
親はただ、そこに居るだけで、どれほどいろんなものを塞き止めていたのだろうと思うほど。
今さらながら両親の偉大さに、感謝した。
それを実感したのは、近所の人たちの対応だった。無料で駐車場を貸してくれたり、長机を貸してくれたり、湯のみや座布団を貸してくれたり…皆さん、気持ちよく協力してくれて、口を揃えて「ふたりともいい人たちだった」と両親の死を悼んでくれた。
これこそ、両親の残した大いなる遺産だろうと思う。お別れ会で、父母の甥姪も総勢25人集ったのも、あの両親にして、この家だったから。
人が集うのが大好きだった父、客を気持ちよくもてなした母。そのふたりが愛したのが、この土地であり、この家だ。
だからこそ両親のお骨を囲んで、みんなが喜んでくれた、手作りのいいお別れ会ができたと思う。
まさか、この家で両親亡き今、ここまで人が集うとは思ってもいなかった。
この場を作ってきてよかったと心から思った。
今、お参りに来ている人たちは口々に言う。
「帰れてよかったねえー」「この家を守ってくれてありがとう」と。
ここは、たぶん他の人々にとっても特別な地なのだろうと思う。
私たちは最初、両親の帰る家を作っていた。
次に自分たちも楽しむ家にしていった。そして、次第に親しい人たちが楽しめる家になって行った。
今では、みんなが愛おしむ大切な場になっている。
一時は兄たちが売り払うのではないかと喧々囂々としたけれど、両親が帰ったとたん、何の心配しなくても家は守られたようだ。
この地を守ってくれたのは、結局、両親だったようだ。
「何の作為をしなくても、結局自然に、こんなふうになっているんだねえ」と友人がしみじみと言ったように。
人が集うのは場だけでなく、人にだと思う。
「風の家」は、風通しのいい家でなければならない。
そのためには争いや妬みや恨みがあってはならない。
すべての膿を出し、今後、この家を生かしていくだろう私たちの心に、
澄んだ風を通したのだろうという気がした。