衣替え?

今朝は4時起きで原稿を仕上げる。久々に情報誌系をやったからか、異常なほど原稿の進みが悪かった。DATAを書き込むだけで吐きそうになるくらい。やっぱ、この手の情報誌は苦手だわ。おかげで土日はほとんどつぶれてしまった。遊び相手のない相方はトドのようにゴロゴロ…ゴロゴロ…(それでもなんか楽しそうでうらやましい)
で、朝7時にやっと原稿送った後、爆睡。その後、のろのろと起きてメールチェックしてみると、なんと!せっかく送った原稿がリターンしているではないか(怒)!
時々、原稿の言い訳に「送ったんですけど、リターンして来ちゃったんですよぉ〜」とか、セコイ手を使って原稿の引き伸ばしをしたりするが、マジに送って帰って来たら超ムカつく!!
再度、送りなおして、ぼーっとしてブログ開いたら、ナニこれ?いきなりデザイン変わってやんの!
昨夜眠るとき携帯でブログ書こうかと遊んでいたからかなあ?わけわかんね。以前のデザインはパキッとしてラテンっぽくって好きだったんだけどいくら探しても同じのがないの。仕方ないんで、この際替えたのがこれ。一気にナチュラルしちゃったけど、ま、デザインの衣替えと思えばいいかね?
これでふと気付いたんだけど、わたしには、こうゆうこと、けっこう頻繁にある。
こうゆうことって言うのは、お気に入りのモノがある日こつ然と目の前から消えているのだ。主にアクセサリー類の小物が多い。お気に入りでいつもいつも付けていると、なぜか、ある日消えている。最初はどこかに落としたかなーとか思っていたけど、絶対に無くなりようがないところに置いても、スッと姿を消している。しかもお気に入りばかりのもの。さすがに、ここまで頻繁に続くとこれはアッチの世界の仕業だと思い出した。実際、その系の本を読むとそれはメッセージなのだそうだ。だから、最近はあわてなくなった。あーあ、またか、と思って現状を受け入れる。それでも、あれがあったらなーとか残念がることは何度もある。
ここにメッセージがあるとしたら、執着をやめろということだろう。
執着から解放されること。それは私がずっと望んでいたことだ。モノ、仕事、人、想い、夢、期待、場所…さまざまな執着は自分を縛るばかりだ。ここから自由になりたいとずっと自分は思っている。
今、一番私が怖がって、無くそうとしている執着。それは、相方だ。
年月が立てば立つほどに、私はこの人を愛していると感じる。これは恋人ではわからなかったと思う。生活を共にして、一つ一つ相方の正も負も見え始め、それを受け入れいて来たからこそ、相方という人間が愛おしい人になったんだと思う。この愛を知ってしまうと、次は無くすのを怖がる。これが執着だ。他の女に走るとか、そういうことなら辛いだろうけど、まだ想像も付くし受け入れられると思う。だけど、この人がこの世から、こつ然といなくなったらどうなるのだろう?そんな想像がふっと沸いている自分自身に私は今、とても怯えているのだ。
心配は負のエネルギーだ。考えまい、考えまいと打ち消しながらしながら、相方が病気になったり、帰りが遅くなったりすると、気付けばよからぬことを考えている自分がいる。
だけど、最近考えたのは、心配する自分を許そうと思う。心配すなと言っても無理なんだから、もうあきらめた。心配することを心配するのでは、どんどん自分を縛るだけだ。
この人がいる限り、もう、ずっと心配するだろうなと開き直ると楽になったよ。だけど、心配で相方を縛るのだけはやめようと思う。つい、水を飲めだの、野菜をもっと食べてだの、気を付けて運転してね、だのうるせえーばばあになっていることに気付く。
救われるのは、相方の天然だ。私は一つ一ついろんなことを受け入れて来たのだけど、相方はスッとまるごと私自身を受け入れてくれている。最近も原稿の締め切りを守らず、私はロクデナシだ!と自分を責めているときに言われたものだ。
「頑張っていい人になろうとか、変わろうとかしないで、いつまでも変わらないロクデナシのテレサでいてね」
って…アンタ、これって、愛の言葉…だよな??