姪に

今日、姪が4日間の休暇を終えて東京に戻った。
考えれば姪が私の住む街へ毎年のように来るようになったのはいつの頃だろう?8歳か10歳の頃?その頃から本当に飽きもせず、毎年毎年一人でやって来た。
なぜ、彼女が私を選んだのか、それは今でもわからない。
だけど、彼女とは幼い頃から妙に気があった。子供ながら、我が家でいちばん‘言葉’の通じる相手ができたと思った。
子供を遊ばせられない私は、遊ぶ代わりに、ただ映画だけを見せて来た。共に映画を観ながら、いろんな話を交わしながら、複雑な思春期から移り変わる彼女をずっと見守って来たつもりだ。
好きな仕事を見つけ、映画が大好きになり、アメリカにも渡り、彼女もやっと叔母から離れ、大人に成長したかに思えた。だけど、明るく、元気よく、いいこで、みんなに愛されながらも、心には今だに怒りを抱えているようだ。
腕には自らを罰するような痛々しい切り傷がまた、増えている。
年を取るごとに、母に依存し、幼児化している。スピリチュアル系のFさんに言わせると、幼児化し、甘えることで安心しているのだと。
確かにそうだろう。
24歳の頃、私もまだまだアンバランスだった。生きることが不安で怖くて、何一つ自信が持てなかった。そんな自分が大嫌いだった。
書くことでリハビリし、やっと自分を支えられていたと思う。
もちろん、私がそうだったように、姪が自分を愛するようになるには時間がかかるに違いない。
だけど、私たち身内の前にいる甘えん坊の彼女と、副店長やインストラクターで責任を持って働いている彼女は違うと思う。
怖いけれど、自信がないけれど、生きることにしっかり立ち向かって行こうとしているあの子を見ていると、胸が熱くなってくる。
大丈夫、きっと大丈夫だよ!あんたは守られているんだから。
無力な叔母は、心の中で、そうエールを送るしかできない。
と、書いているところへ、姪からの電話。
「いろいろとありがとうね」の後に、「東京はやっぱり人が多いよ、そっちはいいなあ…帰りたいなあ…」と溜息。
「仕事で頑張る場所と、また帰りたいと思う場所の二つを持ってるなんて、贅沢だよ。あんたは恵まれてるよ」と私。
返って来た声は、元気よく、「そうだね!また、頑張れるよ!」
生きることは怖いだろうけど、人生は映画よりもっと素敵だよ。
スローペースでいいから、自分の足で歩いておいで。私も隣でヨタヨタゆっくり歩いているからさ…