シンプルということ

私の近年の目標は自分の作品をまとめて一冊の本として出版すること。そのためにも、目下の課題は文章をいかにシンプルにするかということ。
人を取材し、それを長い文章で表現するのは、ある意味簡単なことなのだ。だけどそこには欲と自信のなさが現れているような気がする。だらだらとあれも書くここも押さえていなればとなると、結局一番伝えなければならないことが伝わらない。何もかも必要なことだけのエッセンスを抜き出してわかりくよみやすく伝えるのは、とても高度な技術がいることなのだ。
と、そんなことを霊能者のFさんに話した。ところが、その答えは、
「それにはまず自分の身近をシンプルにしなければいけないのよ」

自分の周りを? あ、そう言えば私、家の中のガラクタを捨てたくなっている。
そうゆうこと?
それよりももっと、身近な身辺。
つまり、私の今の気は散漫なのだという。仕事、ツマ、ヨメ、ムスメ、そして友人。どれにも同じように気をめぐらしている。同じようなエネルギーを注ぎ、自分は何にも専念できず、結果疲れきってしまっている。
いい仕事をしたい、いい妻でありたい、いい嫁と思われたい、親孝行な娘でありたい、その上つきあいは大切にしたい。そんな、Fさんに言わせれば「ええカッコしい」の自分がいると言うのだ。
そうきっぱり言われて凹んだけど、これは真実だと思った。
Fさんは言う。
あんたの本分は書くことなのよ、書くことを除いたらあんたからは何も残らない。ご主人と病気の母親以外の意識を切りなさい。ワガママでも不義理しても少々冷たくてもいいから、必要なものだけに集中すれば、文章も自然にシンプルになってくる、と。
私は、「いい人」になりたかった。
いい人でいて、周りのことに感謝さえしていれば、いいことが起こり、いい人生を歩めると思っていた。それは決してウソではないけど、魂に忠実ではない。
今の自分を無理して壊してまで、いい人になったところで、それは私自身をつぶすことになる。
まず、自分から幸せになること。それが私の哲学だったじゃないか。
それさえ根底にあれば後は着いてくる。どうにかなるさ。
「もっとワガママな自分でいなさい。感性を大切にしなさい。それを失ったら、いい文章は書けないわよ。ワガママは美しいものよ」
そう言ったFさんの言葉が身に染みた。私はまだまだ未熟モノだ。
それを自覚するのが大切なんだと思う。
今、気付いてよかった。気付かせてくれたFさんと天に感謝だ。
シンプルに生きることは、大切なものだけを抱えていけばいいということ。
人からどう思われるではなく、自分がどう生きるかということなんだから。