前回のブログにも綴った通り、この半年間、介護サポートに関わったことで、介護生活の実態を垣間見た感じがする。
わたしがサポートしていたご夫婦は、60代後半の妻と、70代前半の夫。
病に倒れた夫の世話をする妻がだんだん壊れていったのだけど…
この2人、もし、わたしが居なかったらどうしていたのだろう?
遠く離れた米国にいる息子にそれを問うと、
「いま、想像しただけでゲロ吐きそうだった」と(笑)
そりゃそうだろうな…
息子はめんどうみたくても、遠くに居て仕事もある。
共倒れしないためには、稼ぐしかないのだと。
たまたまわたしが側にいたから、サポートもできたけれど、これが居なかったら息子は仕事を辞めて帰ってくるしかなかったのだろうか?
そういう現状は今、山のようにあるのだろう…
とは言いつつも、わたしなんか付かず離れずな距離感だったわけだけど、これが認知症の親とか診てたら、四六時中で目も離せないだろう。
プロを雇うにも、診てくれるのはほんの2、3時間。
施設に預けるには、月10万以上は必ず掛かるし、何より部屋に空きがない。
もう、この国で老いるには、お金を持つか健康な身体を持つしかなさそうだ。
奇しくも、この短期間に、いろんな老い方を観た。
わたしの叔父がいる施設は、住宅型高級老人ホーム。
食事から、部屋の掃除から、介護から、遊びまで、なんでもやってくれる、至れり尽くせりの施設だ。
ラウンジでお掃除が終わるのを待っている老婦人。
ここで老いながら、終末を待つのも1つの生き方だろう。
お金で、「安心」と「安全」を手に入れる生き方。
反面、じぶんたちの足で最後まで立って、人生を謳歌する生き方。
たとえばこんなご夫婦のような。
「コツコツとときを重ねてやっていると、何かが見えてくるんですよ」