独身で、両親も健在だったことは確かだ。
東京に遊びに行き、兄の家に滞在していた時、義姉に付いて行って、義姉のパッチワークのお友だちの家に立ち寄った。
そこは閑静な住宅街の中。
その家は木立に囲まれた洋館だった。
家の中に入るなり、一緒に付いてきていた姪が、
「おばちゃん、トイレ貸して」と駆け込んでいったのに便乗して、
「すみません…わたしも」と初対面なのに厚かましくお借りしたのだけど、そこの奥様はそんな非礼を気にもとめず
「あらあら…来るなりみんなトイレ?」と笑ってくださった。
義姉の友だちという、そのお家の奥様は、とても華やかで非日常的な雰囲気の方だったけど、お話しすると、ごく普通の穏やかで、可愛い感じの方だった。
なにを話したのか…あまり覚えていないけれど、姉とわたしが話している会話に、微笑みながら軽く相づちを打って聞いていらしたのを覚えている。
そんな風にしてお茶をいただきながら、姉と奥様はパッチワーク作業に、わたしはぼんやり、おしゃれで個性的な家のインテリアを眺めながら、しばらくの間、過ごした。
帰りぎわに姉が奥様に、
「妹は、ご主人のファンなのよ」と何気に言ってくれた。
ちょうど、雑誌「CUT」のご主人の特集記事(渋谷陽一インタビュー)を読んでいたばかりだったわたしも、あわててウンウンと大きくうなづいた。
すると、ほんとうに気さくに、
「あら、じゃあ書斎を見る?」と奥様が言った。
ええーーっ?
ご主人がいらっしゃらないのに、いいんですか?
と言いつつ、心の中は「見たい!」と反応していた。
奥様に連れらていくと、庭の中の木々に囲まれた小さな離れの書斎に招かれた。
扉を開けて見た、その書斎は…
まんま、氏の小宇宙だった。
薄暗い部屋に照明のような柔らかな光が差している。
埋めつくす、数々の本や紙切れ、オブジェ、四谷シモンの古い人形などが不思議に同化していた。
机の上のエンピツや、開いたノート、うっすらと被ったホコリまで、そのすべてが、実は計算しつくされた演出ではないかと思わせるような、氏の舞台、そのもののワンシーンだった。
なんだか見てはならない秘密の小部屋を覗いた気分で、心臓の鼓動は高まり、たちまち落ち着かなくなったが…それでも美しい乱雑さの部屋の隅々にまで魅了されて、目が離せなかったのを覚えている。
あれから何年経ったのか…
氏の舞台は何度か見たけれど、わたしにとっては、氏の名前を耳にし、目にするたび、あの小さな書斎の強烈な印象がよみがえってくる。
この日だけの、とても薄い縁ではあったけど…
蜷川幸雄氏のご冥福を心からお祈りします✨