ありっ?!

もう8月だっ!
怒涛の7月だったよなあー。
あんなことや、こんなことがあったし、あんな人がこんな人が来たし…いちいちブログに書く気にもならんほど。
その一つ一つに動き回り、振り回され、「気」を取られていたら、仕事がおろそかになって来た。これはいかんいかんと!と思い、
私の本職はライターだっ!仕事をするぞ!
と、気アイ入れたら、たちまち仕事が入って、またまた本職が忙しくなった(汗)。
最近、気づいたこと二つね。
いい意味でフラットになっている。たぶん、いろいろありすぎて、目の前にあるやらなきゃならないことをこなしていたら、何やかやと悩み考えることが希薄になって来たみたいだ。それも、考えなくていいことから先に削がれていく。
しかし、本気で凹んだり、内観したりするときは、ブログって何にもならんことに今さらながら気づいたよ。12才の頃からずっと書きながら、自分のバランスを取ってた。江原センセイによると、そういう内観法のノートを綴るのは、自分自身を見つめるために、魂の成長のためにいいそうだが、確かにあれは成長期の内観法だったんだなと思う。まるで、先日観た「あるスキャンダルの覚え書き」のジュディ・ディンチのようだけど(笑)。
「みんなが私を頼って来る。胸のうちをぶちまけ、打ち明け話をしてくるけど、私は誰に話したらいいの?私が頼れるのはノートだけ。ここに綴るしかない」と、何冊も延々とノートに綴っている。あれは、怖かった(ケイト・ブランシェットを追い詰めるあの執拗さも、かなり怖かったけど…)。ノートは手書きなだけ、念や気がこもるんじゃないだろうか?私も苦しんだ20代、30代の頃の心の日記が何冊も溜まっていて、それがいとおしくて長年捨てられなかったけど、ずいぶん前に大掃除したときに、心置きなく破いて捨てた。
今でも、いっぱいいいっぱいになりそうなときには、ロックしているダイアリーに書き込むけど、PCに綴るのは軽さがある。デジタルという無機質さが自分の感情を中和させてくれるのかもしれない。
それにしても、ブログって何だ?って今さらながら感じてしまう。
ブームに乗って、原稿書く前のウォーミングアップのつもりで私も書き始めたけど、ブログってのはアナウンスに使うべきじゃないかと思う。
友人のS氏のブログは、美しい森のアトリエや周辺の景色の写真と共に、彼の性格が現れた誠実で丁寧な文章が綴られている。一種の清涼感が漂い、開くのが毎回、楽しみだ。
「ほぼ日刊イトイ」も開くと、気持ちよく元気をもらう。同じようなブログやサイトがあるが、そういう、いい「気」が流れているブログは、そこはかとなく人の役に立っていると思う。
自分がどうしたこうした、どう思ったからこうだとか、垂れ流し状態ブログは、もう無くした方がいい。
で、このブログも、その一環だから、もう閉じようと思う。
もっと、幸せのアナウンスや、人の役に立つサイトができたら、そのときは再びネットに乗せてもらおう。
と、ゆうことで…
しばしの間、サラバ!
and…ありがとう!