BABELとMEXICO

Teresa2007-05-25

やっとBABELが見れた。
イニャリトウ監督もので、話題に上っていたというのもあって期待が大き過ぎたというのもあるんだろうけど、見終わった後は、うーーーん、なんだかな〜。
もちろん、悪くはない。
世界のどこかで、誰かが、言葉にならない言葉を抱えている。そのもどかしさや苦しみや嘆き。その想いだけは言語を超えた共通したものがある。そんな“言葉”は伝わってくるのだけど、なんだか少しばかり無理があるような気がするせいか、ちょっと入り込めない部分がある。
だけど、見ていて胸が締め付けられるのは、ストーリーよりも役者たちの真剣さだ。
凛子やケイト姉さんはもちろんだけど、おっさんになったブラピも超いいぞ〜!!もっといいのは、モロッコ、メキシコの役者たちだ。現地調達?って思わせるほど、リアル過ぎて演技を超えている。
にしてもなあ〜役所広司がハンターだって、あんた…それは無理やり過ぎんかい?
ま、それより、この映画で私が胸キュンになったのは別のところにある。
これもまた素晴らしい演技だったメイド役のアドリアナ・バラッサが出るなり、なんだか胸が熱くなった。スペイン語で話し始めたからだ。Mexicoのシーンになって、これまたいかにもメキシコのあんちゃん風のガエル(ゲバラからドラッグクィーンまで何でもその人物になりきってしまうからスゴイ!)が出てメキシコに入るあたりから、もうなんだか懐かしさでいっぱいになり、気分は映画を超えてしまう。さらにあのズンチャカズンチャカのラテン曲が流れ、土くさい乾いた村の風景や人々を映し出すと、もう、なんだかわからないほど胸いっぱいになって、なぜか望郷の気持ちになってくる。
現実にはメキシコを含める中南米や南米の村や町に少しばかり滞在型の旅をしたというだけで、住んだことはない。実際に住むとしても、精神的にもかなりの体力がいるものだということはわかっている。だから、帰りたい気持ちなどなるはずがないのに、不思議にスペイン語を聞くだけで、心のもっと奥がキュンキュンと締め付けられ、無償に“帰りたい”と思ってしまうのは、なぜなんだろう?
友人は、前世にどこかのスペイン語の村に住んでいたからだと言うが、果たしてそれって…どうなんだろう?
どうか教えてくださいよ、江原さん!