sakura散り、そして…

満開を終えた桜はもう散るしかないのか…?
なんでか寂しい感じがする。
桜もそうだけど、春ってなんか4シーズンの中でかなり特別な位置におかれてえこひいきされているような気がする。
春には、水仙だって、もくれんだって、オオイヌノフグリだって咲くのに、なぜか桜だけは特別扱いで、春の訪れの象徴のように言われ、それこそ国中で開花を待ち、喜んじゃ、祝っちゃ、舞い散るのを惜しんでいるんだから。
で、「春になると…」「春になれば…」「春だから…」と口々に言い合い、そわそわと行動をおこし始めるのはナゼだろう?
実はこのスプリングマジッック、我が周辺にもじわじわと起こっている。
今にもウェディングベルを音らそうとしていた隣人は、まさかのドンデン返しの上に大破局!!かと思うと、好きな相手にコクって一度玉砕していた助産婦の友人は、念とキアイで相手を見事にゲット!!はたまた、昨日久々にバッタリ再会した(しかもドンキで!)霊感友人は、ロンドンと日本を往復しながらも、今月末めでたく籍を入れるそうだ。おまけに幼馴じみの友人は、長年の不倫を実らせ五月にお披露目をすると言うし、我が義妹はもうすぐ臨月で、相方は遅いオジさんになるらしいし…。
もっと言えば、団塊世代の友人は、巷の「団塊迷いブーム」などと無縁で、森のギャラリーから美しいフリーペーパーを発信し(私も入れてもらってるけど)、次々と新しい企画を計画している。
さらに、うちの相方も。今月2日に手術を無事終えたが、まだ痛みが続くらしく入院がチョイ延期。時間療養となるらしいが、今回の病気が転機となり、今の自分を見つめなおしたのか、気付けば新しい道への準備にかかりつつあるようだ。
で、私はと言えば…春に対して特別な感慨もないので、おもしろがって傍観しているけど、何となく、何かを手にしそうな予感が…。と、言ってもこれは、私の中でしかわからないことなので、どうってことないんだけど、ここしばらく長い間考え、悩んでいた私としてみれば、答えが、なんとなーく見えて来そうで少し嬉しい。ここをクリアすれば、また一つ自由になれるかもしれない。
出会いも別れもおめでたも始まりも気付きも「春だから」ではもちろんないだろう。けど、地中で活動していたもぐらが、一斉に地表に現れたように、すべてのことが春に集中して、目覚めてきたような気がする。
このスプリングパワー(?)を、私を含めて、それぞれがどう生かして、秋にはどう変化して行くのか?それがまた楽しみっちゃねー。