人との距離

気が付けば、いつも接近している…のを通り超えて人と一体になっている。悪く言えば呑み込まれている?
スピチュアル系Fさんからはもうずい分昔から忠告されていた。
「人と距離を取りなさい」
「人と線を引きなさい」
「情に振り回されるのはやめなさい」
「人を観る目を持ちなさい」
何度言われても頭でわかっていても、つい同じことをしているなあ。
以前は、それはFさんの人との付き合い方で、私の付き合い方とは違うから、とどこかで無視していた。
例えばヤバイ人がいる。つまり邪悪な部分を持ち自分を侵すニンゲンだとしよう。
彼女は一目でそれを察知する。私はヤバイかもなあ〜と思いつつ、自らその人と関わる。そして振り回され、呑み込まれ、ぐちゃぐちゃになり、傷つき、疲れ果て、やっとそのニンゲンと離れようとする。そこまで体当たりしなくてはわからなかったフシがある。それにたぶん、そうすることが私の方法であり、まあ、言ってしまえば好みだったとも言えるのかもしれない。
以前、邪悪の根源みたいな人と付き合ったとき、友人から体力があるなあ〜と感心されたことがある。それでも私はそこにいたかったし、傷ついても傷ついても、その人の何かを信じ、付き合っていた。Fさんから何度も何度も離れなさいと言われる理由が今イチ納得できなかった。
だけど、結果は結局、いつもFさんの言う通りに終わっていた。
なのに、私はまだその方法を続けている。それを今日も痛感してしまった。
相手は邪悪ではなく、とてもいい人だ。たぶん根っからいい人だと思う。どちらかと言えば大好きな人だと思う。彼女と会って悩みを聞いているとなんとかしてあげたいと思うほど、可愛く無邪気な面がある。事実、私は手助けになるようなことをしているし、言っている。
彼女は明るく、いつも笑っている。優しく、愛情豊かで前向きで、かなりの努力家であり働き手である。だけど、冷静に見れば、彼女は人の話を聞かない。自分の話しかしない。自己中でもある。依存性が高く、気が強いと言った面も持ち合わせている。
私は「正」の部分の彼女に魅かれ、圧倒的な気迫に呑み込まれて、気付けばくたくたになるほどエネルギーを消耗してしまっている。そして、じわじわと「負」の部分の彼女が浮かび上がる。
人は誰もが多面体だ。
なのに私はFさんが言うように全体を観ることなく、表面のさわりだけで信用してしまい、無意識に情をかけ、距離を近づけてしまう・・。
「それがTresaなんじゃないか」と相方も昔からの友人もそう言ってくれる。
だけど…本当の自分はどうも、そこんとこからもう卒業したがっているような気がする。
人とまみれ、人の負も正も闇も光も一緒くたに付き合って来た自分。それはそれで私にはとっても必要なことだったと思う。
けど、もういいかげん、意識し、前に進んでもいいんじゃないか?
かと、言ってFさんのように線を引き、Fさんのような近寄りがたい人になるわけではなく、私らしさを残し、人と距離を保ちながらほどほどのいい付き合いをすること。
それを模索する時期が来たのだと、今回、改めて感じてしまった。