そうだ、TVと音を消そう!

時間がないって言ってる人、そこいらにいっぱいいるでしょう?

うちの隣にもいる。

実際、会社に労力も気力も注いでいるから、帰ってご飯食べたら、もう後はトド状態。
唯一できるのがTVを観ること。時間がなくても、どうやらTVを観ている時間はあるようだ。風呂にも入らず、寝ることもせず、ただ、体をだらーっと延ばし、TVの画面に見入っている。これは観ているというより、自分のキンチョーし過ぎた脳を解放している、放電状態のようだ。
そう。これが、疲れた脳とカラダによく効くのよ。

それは私にもよ〜くわかる。
キンチョーと集中の中で、取材で何人もの人に会って話を聞いた日の夜なんか、ひとことも話したくないほど呆けてしまう。それならサッサと寝て休めばいいものを、TVを付け、ぼ〜っとクソおもしろくもない番組を見てしまう。くだらければないほど、意味がなければないほど、脳が解放されていくんだよな〜。

その感覚を知っているだけに、相方が帰って来る頃には、たとえ消していてもTVのスイッチを付けてしまう。
音のない家庭の空気は、自然と相手との会話を強いられるから、疲れた状態にはキツイだろうな…余力のある時にいっぱい会話すればいいや…と、つい逃がしてあげたくなってしまうんだよね。

だけど、これがいつの間にかクセになってしまうとモンダイだ。

どこに入ってもBGMが流れてる日本には、強制的な音が多すぎるからか、音のない状態に慣れていないのか、日常でもラジオかTV、またはCDを付けているウチが多い。
私の場合もまったくそうだ。
ちょっと客が訪ねて来たときにも、沈黙を避けるためか、‘間’を取るアイテムとして音に助けてもらっている。車に乗るときも何かをかけている。さすがに歩きながらipotで聴くことまではしないが、これは、あきらかにプチ依存症だ。

実家の田舎に帰ったとき、朝、うぐいすの声で目が覚めた。一瞬、誰かの携帯の着信音か、目覚ましの音かと思ったもの。重症だよね。

いつの間にか、TVや音に時間も会話も魂も占領されている。

自然の音に耳を澄ましてみると、いろんな声が聴こえてくる。鳥の声、風の音、車の音、子供の声…そして、何より心の声。拘束する画面からも解放されると、時間も自然に生まれてくる。

そうだ。
音のない時間を作ろう。TVに縛られない時間を生もう。

少しずつ少しずつ、音とTVから離れて行こう。

そんなことに気付いた、今日でした。