先週から、詰めてやっていたお仕事が
やっと、なんとか峠を越えそうです。
2つの違うお仕事を同時にこなしていたのですが、1つ目は先週無事に提出。
もう一つが、これが大仕事。
3年前からのプロジェクトがやっと最終章に。
2日前に上げて、昨日、プロデューサーNさんが、
午後から来て、校正や写真選びで夕方近くまで
ずーっと詰めの作業。
途中わたしは今年初のおでん作りのため、
キッチンに立ってましたが…
やはり最近、寝てないせいか、
ボケててお肉(牛スジや鶏肉など)入れるの忘れてたよ!
それでも、美味しいと相方と一緒に食べたEつんは言ってくれましたが…(^^;
その夜も、詰め作業は続き、
今度は電話やLINEのやりとりで、
最後の最後の詰めをやって、寝たのは朝の4時。
さすがに朝起きれなかったのだけど、8時過ぎに電話が入り、遅寝はやむなく中段。
先日行った湯布院の雑貨屋の売れっ子陶芸作家のMさんから…
長〜い電話で完全に目が覚めました。
あれやこれやの雑談の中で、
彼女が言った言葉が心に響きました。
「わたしたちは余裕をつくって、売る仕事をしているんだよね」
と、Mさん。
ただモノを入れるだけの器なら、百均でも買える。
だけど、どこかほっこりしたものや、温かいものが欲しいという人に買ってもらえるの。
それをお金を出してわざわざ買うって、
心に余裕がある人なんよ。
K子さんの仕事もね、文章でしょ。
余裕がある人じゃないと、文章ってわざわざ読まないよね。
たしかに。
情報だけなら、メモみたいな文章でいい。
だけど、わたしはどこかで人の言葉なり、作品なり、商品でも「伝えたい」という思いで書いている。
これは、読みたいと思ってくれる
どこか心に余裕のある人じゃないと読んでくれないだろう。
「だからね、余裕をつくる仕事してる人がギスギスしてちゃダメよね。
自分に余裕がないと、いいものは作れないもの」
彼女の言葉は、
わたしがずっと大切にしてたい、
大切にしてきたことと、同じことを言っていました。
わたしは、それを「余白」と呼んでいたけど、
そこがないと、「自分でいること」に
踏ん張れなくなってしまいます。
この時代は流れが早いから、ともすれば、
気づかずに流されて、余裕や余白なんて
すぐに消えてなくなってしまいます。
おかげさまで、
けっこう大変な仕事を2つ抱えていたけど、
その2つとも楽しく、好きなお仕事で、
ストレスなく、書くことに専念できて、
とてもありがたかった。
余白があると、そんな楽しいお仕事や、
楽しい嬉しいコトが舞い込んでくるんですよね。
折しも、そんなとき、
こばやしゆうさんから嬉しい贈り物が届きました。
大量のカボスを送ったお礼も込めて、エチオピアのコーヒー豆が送られてきました。(一粒の豆に galitebe : こばやしゆふ yu-kobayashi はてしない)
添えられた手紙には深煎りが美味しい、と。
早速、シティローストで焙煎
香ばしい香りが部屋中に漂います。
コーヒーメーカーではなく、ゴリゴリと手で擦り
ネルフィルターで、ゆっくり…淹れると
泡がボコボコ…香りだけで癒されます。
ゆっくりポタポタ落ちて
ゆっくり注ぎいで
頂きました。
想像以上に、美味しいーー✨
エチオピア豆って、ちょっと酸味が強かった気がするけど、
そんな苦手で酸味も深煎りで気にならないし、
とてもまろやか。
いいコーヒーって後味がスッキリするんですね。
ほぼ徹夜明けの身体に染み渡りました。
みんなにも少しおすそ分けしようっと。
エチオピアから、ゆうさん経由で届いたら贅沢な豆で、
これこそ、余裕の時間を過ごさせて頂きました。