住宅雑誌の取材で思う

寒波が続いています。

 

そんな中で住宅雑誌の取材が続いています。

木曜日は2軒。。

午前中には郊外にある古民家を改造したカフェ。

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ここは以前、飲食の情報誌で取材したことがあるのだけど、ここのオーナーである美しき三姉妹が奮闘して自分たちでリノベーションしたという「ストーリー」を聞き、個人的にぜひ住宅雑誌に載せたいと思っていたので、“カフェのインテリア”はタイムリーな企画でした。

 

カフェは、いつ行っても居心地がよく、三姉妹も変わらず美しく感じのいい対応で、気持ちよく取材ができました。

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午後からは住宅の取材。

こちらは久々の日本家屋。施主さんのこだわりが細部にまで行き渡っていて惚れ惚れするほど美しい家でした。

堂々とした日本家屋ですが施主さんはまだ若い。

わたしから見れば、ですが(笑)

ご主人は10年、20年先を見据えての家造りプランだったようで、確かにこの家なら手入れしていたら100年は持つかもしれないほどのしっかりした造りです。

 

だけど、奥さま曰く

「心配なのは将来、お嫁さんが気に入ってくれるか?ということなんです。階段も急だから孫が危険で寄り付かないのじゃないかと…」

孫って…いやいや奥さま、息子さん、まだ小学生とやっと中学生の坊やじゃないですか(^^; 

将来結婚するかも、子どもできるかも、近くに住むかも、まったく未定ですし。

そんなわからない先のことを心配するよりも…

わかりやすい先のことを、わたしはつい考えてしまいました。

 

まず気づいたのは、ここの住宅街からの帰り道、一軒のスーパーもコンビニもなかったことです。

こういうとき、よく過疎地に行ったときの民家を見て、「ここの人、トイレットペーパー切れたらどこに買いに行くんだ?」と毎回わたしが言うセリフを思い出してしまいました。

 

いや、買い置きあるでしょ、車で行けるでしょ。

…ってそんなことではなく「車」がある「車」を運転できるという前提なのですね。

 

この足が使えなくなった時の、まさかの例をわたしは従兄弟の家で見ていますからそんなことを考えてしまうのでしょうが、若い時はまだ想像できないと思います。

 

同行したカメラマンが言うには、大手のスーパーは利益が出ないとサッと引き払うけど、昔ながらの小さな手作りのようなスーパーはうちの近くにずっとあるので助かるなあ〜とのこと。

田舎は道の駅や無人の野菜売り場とかあるので、わりと助かりますが、こういう郊外の住宅地こそ、小さなスーパーがあると助かると思うのです。

 

それに夫婦2人になった家は大き過ぎて、もてあまし気味。売ろうとしてもかんたんじゃない。

若い時は、高台で大きな立派な家に住みたいと思うのはある意味「夢」でしょうが、年を重ねると家は賃貸でも、小さいほど身軽でいいんじゃないかと思ってしまいます。

 

「家って重たいよなあ〜」

住宅雑誌を取材しているくせに、いろんな家を見ると、年々ついそんな感想を抱いてしまうのです。