気がつけば前回の更新から1週間以上経っていました。
DAR VIDA(ダルヴィーダ)のS先生から電話がかかり、
「ブログ更新ないけど大丈夫か?」と(笑)
Eちゃんからは「期待して待っています」と(^^;
2人とも身内とは言え、こんな拙いブログを心待ちにしていてくださるとは、ほんとうにありがたいことです。
この1週間、
別に何があったわけではないのですが、いろんなことを考えていました。
確かに…
ちょっと心身ともにテンションが落ちていたかもしれせん。
ブログにも向かう気力がなかったことも事実です…(¬_¬)
まあ、梅雨というのも季節も関係しているのかもしれませんが…
なんとなくカラダもココロも重く…
体は先日整体に行ってメンテナンスしてきました。
気持ちが落ちたきっかけは、先日日本中が驚きと悲しみに沈んだ小林麻央さんの死でした。
23日の朝、いつものように6時半に起き、相方のお弁当や朝食を作り、送り出したあと、洗濯機を回し、ほっと息をつきコーヒーを飲みながら、何気に開いたのは、歌舞伎役者の海老蔵氏のブログ。
別に特別に海老蔵氏のファンでもなく、日頃、芸能人のブログなど見ることはあまりなかったのだけど、麻央さんのブログだけは読み続けていました。
彼女がブログを始めたと知ったとき、初めはどんなことを書くのだろう?という興味本位からでした。
だけど、日々、赤裸々に綴った彼女の文章を読むうちに魅せられ、引き込まれて、いつの間にかブログを読むのが日課になってしまいました。
その文章は短文ながらも素直で美しく、深く、時には神々しくもあり、あきらかに人の心に静かに沁み入るメッセージ性を秘めていて、
いつも愛と感謝にあふれていました。
死と背中合わせに在りながら、写っている自身の写真は思いっきりの笑顔。
次第にやせ細っていきながらも、その笑顔だけは絶やさず、顎に転移したときさえも、ユーモアをまじえて報告。
文章もどこか達観したかのような気高さを感じます。
写真に写るその目だけは驚くほど生き生きと輝いて生命力に満ちていました。
読み進むうちに、この人に奇跡を起こしてほしい、と祈らずにはいられなかったのは、きっとわたしだけではなく、200万人超えという驚異的な数の読者も同じ気持ちだったでしょう。
同時に夫である海老蔵氏のブログも読み始めたのですが、そこにもまた、妻と子どもと歌舞伎をひたすら愛し、この状況下の中でも「今」を力いっぱい楽しみ、生き、感謝する、役者の、夫の、そして父親の日常が綴られていました。
この人はこんな人だったろうか?
問題をよく起こす傲慢でヤンチャで派手な歌舞伎役者は、
子どもたちと公園で遊んだと喜び
妻が手作りのスープを飲んでくれたと涙し
陽射しが気持ちいいと嬉しがり、
歌舞伎ができると感謝する
その文章と、顔つきさえ変化した自身の写真からは、以前の印象は微塵も感じられませんでした。
今年の4月、この人の歌舞伎舞台を観ました。
演目のおもしろさに加え、海老蔵氏の美しさと、圧倒的な存在感と、なにより湧き上がる観客に応えての何回ものカーテンコールのサービス精神に、ただただ感動したけれど、この歌舞伎役者は、まだ若干39歳だという。
父を亡くし、一門の長となり、日々休むことなく歌舞伎と病院と家だけの暮らしの中、稽古とジムで鍛えながら自分を律し、奮い立たせ、末期癌の愛する妻を残しての全国旅巡業は、どれほどの精神力か、ただの一観客としてのわたしには測りしれません。
それでも彼のその日のブログには軽やかに明るく、「大分のお客様は楽しい、フグは美味しい、しあわせです」と綴っていました。
その海老蔵氏が、23日の朝、「人生で一番泣いた日」の一行で、まだマスコミ発表はなくとも、読者に麻央さんが亡くなったことを伝えていました。
わたしは「人」に入れ込むという悪いクセがあるので、なるべく客観的に捉えようとしていたのだけど、この事実を知ったとき自分でも驚くほど、何かが抜け落ちたかのように、気持ちが落ちてしまったのです。
それから1週間、喪に服すかのように、わたしもいろんなことを考えさせられました。
人に伝える文章のこと、言葉の重み、
生きること死ぬこと、病のこと、こころのあり方…
深く沈んでもいたけれど、それは決してネガティヴなものではなく、むしろ今のわたしに気づきを与えてくれた必要なことだった気がします。
海老蔵氏が何度も何度もブログに書いていたことは、
あたりまえの日常がどんなに尊く、奇跡であり、大切なことかを知った、と。
わたしには何も起こらなかった1週間だったけれど、この何も起こらない、普通の日常を送れることがどれだけ幸運なことか…
朝、起きて目が覚めるだけで奇跡かもしれません。
そんなことに気づかせてくれた小林麻央さんに
心から感謝をして
遅ればせながら、ご冥福を祈ります。