余白のはなし

最近、このブログを読んでくださる、ごくごく少数派の方々から、
「この頃、毎日更新してるね〜」と感心されたり、驚かれたり。

でもご心配なく。続きませんから(笑)

いまはおもしろネタがあるのと備忘録代わりに書いているだけですから。


ということで…今日はネタなし、写真なしのただのツマラン独白なので、ここから先はスルーしてくださってかまいません。



実は、わたくしつい先日、誕生日を迎えまして、また一つ言いたくもない年を取ってしまったのですが…(^^;;
この年になってしみじみわかったことがあります。


なにかというと、人生にはいかに「余白」が大切かということです。

「幸運は余白に舞い込む」

とは、某有名ブロガーさんのお言葉ですが、まさにその通りだとしみじみ思うのです。

若い頃は、空白を埋めることイコール、充実していることイコール、必要とされている自分、などと大きな勘違いをしていました。
スケジュールが埋まるとハイになって、まるで売れっ子きどり。
求められているうちが花だとばかり、仕事も人の誘いも断らず(断りきれず)、求められるままホイホイ受けていました。

まるで「忙しい」ことがいいことだとばかり。

それって、若かりし頃の、ほんとうに大きな勘違いなんですね。
空白が埋まること、求められること、人に喜ばれること、好かれること、そんなことが、自分の価値を決めていると思いこんでいたのですね。

だけど、さすがにこの年になると気付いてしまいます。

自分となーーーんも関係ないことを。
ただエネルギーが動いているだけのことを。
すべてが思いこみの幻想でしかないんだということを。

大切なことは…

時間も、あたまのなかも、こころのなかも、部屋のなかも、人間関係も、日常生活も、好きも嫌いも、遊び時間も、仕事時間も、ぎゅうぎゅう詰めにしないで、ほんの少しの余白を残しておくこと。

その余白のなかにいる自分が、本来の自分に帰る時間であり、場所であるんだと、気付いたのです。
そこから、じっくり仮想現実の世界もよく見えます。

余白ってなーーーんもないようですが、実はなんもないのです(笑)

「無」です、「無」!

だけど、その無から生まれてくるもの、得るもののなんと多いことか…


そこに気付いただけでも、年を取ることって悪くないな、と思います。



そんなことを感じた、秋の夜長でした。