3.11に寄せて

今日は少し寒いけど、よく晴れた美しい日だった。


洗濯を、済ませたあと、用事ができて、昼前に「風の家」まで行き、古墳本の最終校正を届け、そのあと、買い物や雑事を済まして、午後2時過ぎに家に帰りついた。



一息つき、朝から何も食べてなかったので
フルーツやヨーグルトなんか食べたりして、しばしまったり。


そして、何気にテレビを付けた。



…のが、なんと「2時46分」ぴったり!


驚いた。


テレビ画面では、宮城県南三陸町の骨組みだけが残った、あの防災庁舎が映し出され、その前で生き残った住民たちの黙祷が始まったばかり。


あわてて立ち上がり、その場でわたしも黙祷をした。


見慣れた顔の男性テレビアナウンサーが黙祷が終わると同時に、言葉を震わせて泣いていた。


今日一日中、テレビもFacebookも震災一色だった。


夜のNHKのドキュメンタリーでは、避難を余儀なくされた老夫婦が、都会の21階建てのマンションに一室に暮らしている様子を描いていた。


マンションから見る都市の夜景は絶景だったが、「でもわたしは、田舎のポツリポツリの灯りの方がいい」と老婦人はつぶやく。

「うちに帰りたいなあ」と老いた夫もつぶやく。


様子を見に一時帰宅した家は荒れ放題だった。獣やネズミや白アリが壁や柱を食いつぶす。

それだけではない。留守に泥棒が入り、金目のものは何もかも盗んでいる。

桐ダンスの中にあった、記念の着物も根こそぎだった。


なんにもねえ…すべてやられてる。


帰ろうにも、これじゃあ、住めねえ。


一生懸命働いて、やっと建てた家がこんなになって…



このあと妻は、もう帰らない。更地にしていいという契約書にサインをした。

「帰らないのか…」と呆然と空を見つめる夫。


そこで、亡き父を思い出した。


東京に行く際、裏山に向かって「ごめんなさい」と深々と頭を下げた父。


だけど父は残りの人生を暮らすまちと生活を楽しんだ。


大陸生まれの明るい父らしく、住めば都だからと言ってた。


父のような人でばかりではなく、変化に慣れない人もいる。

ふるさとや先祖の土地にこだわり続ける人々にとって、家を無くすことは、自分を失ってしまうほど辛いことなんだろうと思う。


わたしは…

年を取るごとに、いろんなものを手放して身軽に生きたい、とあらためて思った。


「お父さんたち、震災を知らずに逝ってよかったよね」と相方がポツリと言った。


ほんとうにね。


3.11

いろんな想いが去来する。

この日は、なぜ起こり、なにを教えてくれたのか…

あたりまえの日常は、奇跡でしかかない。

あらためて生かされていることに感謝し、他人ごとではなく、日本中が一人ひとりのこととして、感じ、考えることが大切な日だと思った。