今日は少し寒いけど、よく晴れた美しい日だった。
洗濯を、済ませたあと、用事ができて、昼前に「風の家」まで行き、古墳本の最終校正を届け、そのあと、買い物や雑事を済まして、午後2時過ぎに家に帰りついた。
一息つき、朝から何も食べてなかったので
フルーツやヨーグルトなんか食べたりして、しばしまったり。
そして、何気にテレビを付けた。
…のが、なんと「2時46分」ぴったり!
驚いた。
テレビ画面では、宮城県南三陸町の骨組みだけが残った、あの防災庁舎が映し出され、その前で生き残った住民たちの黙祷が始まったばかり。
あわてて立ち上がり、その場でわたしも黙祷をした。
見慣れた顔の男性テレビアナウンサーが黙祷が終わると同時に、言葉を震わせて泣いていた。
今日一日中、テレビもFacebookも震災一色だった。
夜のNHKのドキュメンタリーでは、避難を余儀なくされた老夫婦が、都会の21階建てのマンションに一室に暮らしている様子を描いていた。
マンションから見る都市の夜景は絶景だったが、「でもわたしは、田舎のポツリポツリの灯りの方がいい」と老婦人はつぶやく。
「うちに帰りたいなあ」と老いた夫もつぶやく。
様子を見に一時帰宅した家は荒れ放題だった。獣やネズミや白アリが壁や柱を食いつぶす。
それだけではない。留守に泥棒が入り、金目のものは何もかも盗んでいる。
桐ダンスの中にあった、記念の着物も根こそぎだった。
なんにもねえ…すべてやられてる。
帰ろうにも、これじゃあ、住めねえ。
一生懸命働いて、やっと建てた家がこんなになって…
このあと妻は、もう帰らない。更地にしていいという契約書にサインをした。
「帰らないのか…」と呆然と空を見つめる夫。
そこで、亡き父を思い出した。
東京に行く際、裏山に向かって「ごめんなさい」と深々と頭を下げた父。
だけど父は残りの人生を暮らすまちと生活を楽しんだ。
大陸生まれの明るい父らしく、住めば都だからと言ってた。
父のような人でばかりではなく、変化に慣れない人もいる。
ふるさとや先祖の土地にこだわり続ける人々にとって、家を無くすことは、自分を失ってしまうほど辛いことなんだろうと思う。
わたしは…
年を取るごとに、いろんなものを手放して身軽に生きたい、とあらためて思った。
「お父さんたち、震災を知らずに逝ってよかったよね」と相方がポツリと言った。
ほんとうにね。
3.11
いろんな想いが去来する。
この日は、なぜ起こり、なにを教えてくれたのか…
あたりまえの日常は、奇跡でしかかない。
あらためて生かされていることに感謝し、他人ごとではなく、日本中が一人ひとりのこととして、感じ、考えることが大切な日だと思った。