25日クリスマスの当日のこと。
取材に行く準備をしていたら、突然の訃報。
従兄弟が今朝亡くなったという知らせを受けた。
従兄弟と言っても親戚で一番年上なので、もう高齢者で、最近会ってなかったけど元気でいるとばかり思っていたので驚いた。
知らせてくれたのは、亡くなった従兄弟の弟のヨメさん。こんな催事には必ず陣頭指揮を取る夫はケガで入院中。
連絡係を任されて、なにやらテンパッている。
これから、入院中の夫に知らせに行き、亡くなったお家にご挨拶に行き、息子のための喪服も用意しなければならないともいう。
ヘルプをしてあげたいけど、わたしはその日は朝から取材が入っている。戸惑っているわたしの隣で「Kちゃんは取材に行きな!僕が会社休んでいくよ!」と相方。
即決だった。
「こんなときこそ、ご恩を返さなきゃ」と相方。
確かにこのご夫婦にはとてもお世話にいるので、こんなときこそ役に立ちたいけど、わたしの従兄弟のヨメの雑事(というか運転手係)のために、会社を休んでまで付き合ってくれるという。
我が相方ながら、ほんとうにデキた人だ✨
わたしはもちろん、従兄弟のヨメさんもそれはそれはありがたがっていた。
翌日の26日が通夜となった。
今度は相方が仕事で出られない替わりにわたしが動く。
通夜というと夜だけど、各地から来る高齢のおば様たちをお届けする役目をわたしがしなければならないようで、なんと朝8時から出動命令が出た(*_*)
おばさま軍団を乗せて1時間。葬儀場へ行くのはいいけど、まあ、皆さま元気のいいことこの上ない。
この調子で、打ち合わせだの、昔話しだのする控え室で、夜まで過ごすのだ。
斎場は着々と準備が整っている。
思えば、ついこの間、相方の祖父の葬式をここであげたばかりだ。
今回はわたしの親戚だけど、話すことも、居場所もない。
さすがに時間を持て余し、あとはロビーに出てスマホで映画なんか見て過ごすしかなかった。
通夜の行事を終えて帰ったのは、夜の9時過ぎ、そのままベッドに倒れこんだ。
翌日27日は朝から葬儀。
これは相方さんと。
この感心なお方は6時から起きて親戚に差し入れするベーグルを焼いている。
それを持って葬祭場へ。
ベーグルの評判もさることながら、相方は人柄が顔に出ていると、おばさまたちからすこぶる評判がいい。
「いい人を見つけたね〜」と、わたしの評価まで上がる。
その裏には、よくあんたみたいな変りものを貰ってくれたものだわ…と言われているけど(笑)
とにかく無事に葬儀が終わったあと、そのまま今度は次の予定のために、日出町まで車を飛ばす。
こんどはわたしの父方の従姉妹夫婦の家にお呼ばれのため。
このご夫婦とは、一年に一回は食事をする仲で、わたしたちの大好きな夫婦だ。
奥さんは、S姉ちゃん、と昔から呼んでいた従姉妹で思春期のわたしの一番の理解者だった。
そのご主人は8歳年下で、竹細工を仕事にしていて、その上、花道の先生でもある。
とても不思議な話しなのだけど、このM氏もまた、相方と同じ海外協力隊でフィリピンに行っていた。
そして、帰国後たまたま出かけたOB会の集いで、最近帰国した人の報告発表会の講演を聞いていた。
それが、エルサルバドルから帰国した相方だったというから驚く。
「まさか、あの時の青年と親戚になろうとは…」と、毎回、その話しがM氏から出るけど、ほんとうに何回聞いても不思議な縁✨
それにしてもこのお二人との話しはおもしろく、花道の話、協力隊時代の頃の話、政治の話、歴史の話し、ものづくりの話、料理の話…など、話しても話しても話しが尽きないほど盛り上がり、深夜まで楽しい時間が続いた。
ご主人がサバいてくれたスズキの刺し身は絶品!
鶏、里芋、ムラサキ山芋の団子鍋でお腹いっぱい
そして、今日はやっとゆるゆるの休日。相方も午後から休みになり早々と帰宅。
今夜はゆうこ宅でのメシ会。
相変わらずオサレなゆうこの食卓に、すべてゆうこ手製の料理が並ぶ。
今回は、四国からまたまたMちゃんがやってきたので、ウェルカムの小さな集い。