最近、なんだかお腹の…いや、胸の奥かな?
どこか深いところから、じわ〜っと湧き上がってくる幸せ感がある。
なにがあったわけでもなく、そう、特別にうれしいことがあったわけでもないのに、気づいたら顔がニタついているじぶんがいる。
日が射している、雨が降っている、ごはんを食べている…いま、ここで生きている。
それだけで、なんかわからず、しあわせなのだ。
これがなければ幸せじゃない、これがあるから幸せ、
この人がいるから幸せ、この仕事がないと不幸せ…
そんなふうに 幸せに条件を付けているうちって実はぜんぜん幸せじゃないのかもしれないなって思う。
思考や感情で意味付けして、そう思わせていたんだなって。
そういうことを同世代の友人に話したら、
「実はわたしもそうなの。わけもわからず、朝起きただけでしあわせだーってつぶやいたりしてるの」
つまり、年を重ねてその境地に入ってきたってことかい ?(笑)
ここで、心に残った ことばを引用しよう。
都会は無駄であふれ、その無駄で食う人々の数が増え、
すべては金で買え、人は己のなすべき事まで他人に金を払いそして依頼する。
たわいない知識と情報が横溢し、それらを最も多く知る人間が偉い人間だと評価され、
人みなそこへあこがれ向かい、
その裏で人類が営々とたくわえて来た生きるための知恵、創る能力は知らず知らずに退化している。
それが果たして文明なのだろうか。
『北の国から』はここから発想した―――――
倉本 聰 が語る 「北の国から」 30年目の真実
この倉本聰が以前、富良野塾生40人にあるアンケートを 取ったそうだ。
生活必需品を10あげよと。
その答えから 票の多いものからトップテンを選んだところ、
1位が 水
2位が 火
3位が ナイフ
4位が 食い物
だったそうだ。
それと同じアンケートを渋谷でたむろしている若者たちに取ったところ、
1位が 金
2位が ケイタイ
3位が テレビ
4位が 車
だったという。
同じ世代で同じ日本で こうもズレがあるのだ、と倉本は語っていたそうだ。
これを読んで、わたしはなんと答えるだろうか、と思った。
生活必需品。生活してゆくのにどうしても必要なもの…
目の前にいる若き友人は、「水と塩」と即答した(ヒマラヤ塩売ってるし… 笑)。
わたしは「ヒト」「住処(すみか)」かも?
相方は「電気」と答えそうだね (いま名古屋でいないけど 笑)と言ったら、「確かに〜電気いるかもー」とYちゃん。
秋の夜長、女子ふたり、風の家にて、こんな話をしながら、ゆるりと過ごしております。