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「雑」な家


先日、Facebookに毎日毎朝かかさずに「こころ」の話しを掲載しているM氏が「風の家」を訪ねてくださった。

M氏は50代半ばで、とても穏やかでおしゃれな紳士。お仕事はなんと公務員なのだけど実に引き出しの多い方。

食育の関係のお仕事をしていたからか、県内各地を周り、生産者や地域の住民たちと交流を持ち、商品開発や店舗作り、販促のヒントなどを提案しているようだ。

そんなときに持ち出すお話しの根底にあるのは、人の「こころ」のあり方。
たとえば商品開発をするとき、じぶん、あるいは地域は、なにをしたいのか?どうすればワクワクなれるのか?を問う。
商品づくりへの想い、人との交流の仕方から、じぶんの気(エネルギー)の流れ方、精神の持ち方、スピリチュアルな話し、はたまた天の話し、宇宙の話しにまでに広がり、ついつい引き込まれてしまうほどのお話し上手だ。


そのM氏を囲んで友人2人と相方を交えて「雑談」をするというミニミニ企画を設けた。
それぞれから質問や意見、感想などが出てトークが弾んでしまい、あっと言う間の3時間だった。

そこで、いろんな話しをしていくうちに「風の家」はどうありたいか?という話題になった。
M氏からは、「ここはもう独自の「場」が出来上がっていますよね」といわれたが、
雑貨や洋服がポツリポツリとしか動かないとぼやくと、M氏は「こころを使ってみてください」という。


いまは物質の時代を過ぎて、こころ時代に突入している云われるけど、その「こころの時代」とは、こころを使うことだとM氏。

たとえば、よくできた大根があるとする。それをどう活かせばいちばん美味しく食べられるだろう?
雑貨や服はどうやったら気持ちよく使ってもらい、またモノたちはどんなふうに使いたがってもらってるだろう?

つまりじぶんサイドではなく、人もモノも野菜も食材も「相手」側から見るよう、考えること。
それが「こころ」を使う時代でないかと思いますとM氏は云う。


そう。
「風の家」はどうやったら、喜んでくれるだろう?
「風の家」にある手づくり品たちは、どんなシーンで使いたがってもらってるだろう?

大切に扱ってきたつもりだけど、もっと心を傾け、モノたちの声を聴けるよう気を掛けようと、あらためて感じてしまった。


そして、なにより2年と1ケ月が過ぎようとしている「風の家」をわたしたちはどんな店にしたいか?ということだ。

始めるときは、大したコンセプトはなかったけど、いちばん最初に思いついたのは「大人の遊び場」をつくることだった。
どうせ遊ぶならそこでお茶を飲めたらゆっくりできるかもしれない、ギャラリー的な雑貨があったら楽しいかもしれない、いろんな人がいろんなことをやりたい「なんでもあり」の店ならいいかもしれない。
そんな発想から生まれたのが「風の家」だった。

できたあとも、カフェと限定せず、雑貨屋と限定せず、ギャラリーとも限定せず、必要に応じていろんなふうに変化できる、「家」でありたいと思っていた。
はたして、その想いはいましっかり実現し、定着するようになった。

2年目にして「風の家」は、多彩に表情を変えてきた。


カフェからギャラリー、パーティ会場、ワンデイカフェ、リンパマッサージ、アロマテラピー、LIVE会場、作業所、サロン…などなど、こちらが動かずともお客様の方から次々にオファーがあり、そのたびに「NO」をいわない店主として(笑)可能な限り受け入れてきた。
それだけで、「独自のカフェ」スタイルが出来上がったといってもいい。
これはわたし1人のチカラでは決してないので、ほんとうにありがたいことだと思う。


そんな今、わたしの中に浮かんできた言葉は、「雑」という言葉だ。
ザツというのは、あんまりいい印象は受けないけど、なんだか「風の家」の在り方に似合う気がする。

カフェや雑貨や古本がある雑然とした空間で、雑多なモノがありコトが起こり、人が交わり、雑談や雑学に花が咲く。

そう考えると最初に思いついた「大人の遊び場」と方向性はなにも変わっていない。

だから「風の家」は風の吹くまま…「雑」な家でいいのかもしれない。