前方後円墳とヤマト政権

「もしもし、今度の日曜日はご在宅でしょうか? 実は、午後から、30年もの間、古墳発掘調査をなさっている古墳研究の第一人者である大阪大学の福永教授の講演会があるのです。めったに聞けない貴重な講演ですので、ご都合が付きましたら、ぜひおいで下さい」
と、地元の古墳研究会の会長さんとやらから電話が入った。

今までなら、めんどくせえ〜っと思ってたけど今回はなぜか心が動いた。
というのも、何度かこのブログにも載せたように、我が実家(風の家)の裏山は前方後円墳である。
兵庫県の西宮市で働いていた祖父が退職して帰郷し、山を買い取り家を建てたら、掘り返したその山が、古墳だと初めてわかったという。
実は、この地域には8基の前方後円墳があるという非常に珍しい地らしい。
風の家に毎週通ううちに、若い頃はまったく興味もなかったが、年のせいだろうか?じぶんが生まれた地に対して、興味を抱くようになって来た。
昨日訪ねた友人は、今この町で日本初になるかもしれない、あるプロジェクトを進めている。
彼女はこの町の生まれではないので、いろいろな方面から調査し、聞いたところによると、この地域は非常に霊的に高い土地で、良くも悪くも人が行き交い、集まる性質を持っているのだという。
さらに古墳が多いことによって、根付いている「念」もあるが、土地に住み、使う人は鎮めることが大切なのだそうだ。
うちのじいちゃんは、そのへんを良くわかっていた人だと思う。
あばいた墓を祀るために祠を建てたのだから。
それ以来、子々孫々いたるまで守り抜いてお参りをしているせいか、霊感の強い人が来ると、「ここはとてもエネルギーが高い」とか、「光の柱が見える」とか(笑)、そういうことをよく言われる。
それに、実は昨日、今回の講演会を聞きに大分市から来た初老の人が講演の前に、1基でも古墳を見ておきたいと、駅から一番近い我が家の古墳を見学に来られた。
裏山に案内するとたいそう喜んで、質問をなさるが…
「ああ、これは盛り土ですね」
「はあ…」
「頭はどちら側になるのですかな」
「さあ…」
「中期の古墳でしたな?」
「あ?」
こんな会話ばっか。
結局、県が立てた立て札の説明を読んでふんふんと、なっとくしておられた。
帰る際、
「こんなふうにして祀っていらっしゃるおじいさまは立派な方ですねー」
と何度も言っていた。
そんなこともあって、前方後円墳や土地のことを一度くらい聞いてみようか…と言う気になり、雨の中を講演に出かけた。




こんなん聞きに来るのって10人いればいい方かと思ってたけど、会場は満席!





みんな興味あるんだな〜

話しはまあまあだったけど、わかったのはヤマト政権に入っていた有力者の墓が前方後円墳だということ。
この地域は、瀬戸内から日向ルート、肥後ルートを抜ける三差路であり、流通物質の拠点であったのはないかと言う。
それが本当なら、なるほど人が行き交うわけだよね。

その後、地域の古墳がスライドで紹介され、我が家の古墳も登場!





なんか子どもの頃から見慣れている裏山の古墳と祠だけど、こうやってみると貴重な土地に住まわせてもらっていたんだなーと改めて実感。

じいちゃんへの感謝とともに、もっときれいに大切に守っていこうという引き締まった気持ちになった。