その人の死のニュースをネットで見たとき、じぶんでも驚いたけど、じわっと涙ぐんでしまった。
広告の全盛時代の先端をあれほどカッコよく生きていたADの女性は、当時珍しかったと思う。
有名な資生堂はもちろん、パルコのCMやポスターはハッとするほど鮮烈で美しかった。
広告の世界に触れる前の私でさえ、彼女のクールないでたちや仕事には密かにあこがれを抱いていた。
広告が力を無くし始める前に彼女は、すべてを捨てて単身アメリカに飛んだという。
40歳を過ぎていた。
「ドラキュラ」の衣装デザイナーに彼女の名前を見たとき、「なつかしい名前!」と驚き、嬉しかったのを覚えている。
ニューヨークに渡ったその後の活躍は目を見張るほどだった。
映画、舞台、音楽、オリンピックまで。
ある日、NHKのドキュメンタリーで、彼女の特集をやっていた。
ニューヨークのマンションの80階で暮らす彼女は、年を重ねてもカッコよく、堂々としていた。
舞台衣装を手掛ける彼女は、材質から、カタチ、少しのシワにもこだわり(おそらく彼女しかわからないだろう)、周囲のアシスタントを辟易させていた。
「1ミリの違いが世界を変える」
そういう彼女は、とことん美しくあることを追求し続けたと思う。
つくるモノも、暮らし方も、人生そのものも。
日本人の繊細さと強さをもち、最後まで美しく生き切った人、
アートディレクター 石岡瑛子さん
心よりご冥福をお祈りします。