風の家の暗部

先日遊びに来た姪が墓参りのために、風の家に立ち寄った。
そこでお昼を食べて半日ほどの滞在だったのだけど、家の変わり様に驚き、
「どの部屋も、すっごくイイ感じ!」とのお褒めの言葉をいただいた。
特に「本の間」にしている部屋は、以前両親の寝室でかなり暗く、その後も物置状態だったのだけど、箪笥をとりのぞき、壁に珪藻土を塗って明るくしたら、そこがいちばん雰囲気のある部屋になった。

  
(「風の家」の読書室です)


この家を見て姪が言った言葉は、
「じいちゃん、ばあちゃんが住んでいた家に、いつかわたしの子どもができたら連れて来たい」だった。
それが実現すれば、どんなにいいだろう。
亡くなった両親もどんなに嬉しがるだろう。

最初わたしが作りたいと言った「みんなの家」は、まさにそういう家だった。
家族が帰れる家で、友達が集える家、初めての人が行き交う家、人と人が風のように交わり通り抜ける家。そして、できる限り長く生き続ける家。
家は、少しずつ補修していれば100年くらい持つと言う。
ましてやこの家は「台風に負けない家、風に強い家」として造られたらしいから、手直ししていけば、なんとか長く生きれるかもしれない。
だけど家を維持してゆくには、絶対条件がある。
「体力・財力・気力」だ。
何と言っても、まず自然との共存
うちは庭ではなく「山」だから、この共存には体力がいる。今年の夏は多忙と猛暑だったせいか、わたしたちの体力はかなり落ちていた。
週1回の草取りや草刈りをマメにやれば良かったのかもしれないけど、家に着くとホッとして暑さのためもあり、なかなか外にも出れなかった。
それとは反比例して、家を囲む雑草(いや、もはや草なんていうナマやさしいものではなく雑木だ!)たるやハンパない。日本が熱帯化しているせいだろうか、年々脅威を増している。

今回は相方の上海出張もあったせいで2週間ぶりだったが、以前刈った草は見事に復活し、その勢力たるやすさまじいばかり!

 
(裏山の階段が見えない、登れない…まずツタを除ける作業から)

    
特に葛(クズ)の勢いは、せっかく植えた木に巻き着き、その息の根を止めるばかりか家までをおおい尽くそうとしている。

     
  (垣根にしたつもりのアカメガシも侵食された!)


さらに蚊の大群。夏は網戸を閉め切り、外に出るときは防虫剤か蚊取り線香なしでは出れない。

     
    (腰巻蚊取り線香は必需品!)
    

夕涼みなんていう優雅なことは、とてもじゃないができそうにない。
今は相方が時間を見ては格闘してくれているけど、彼一人じゃとても管理できそうにない。とは言え…この通り一人でモクモクとやって、裏山への階段も見事に通れるように!

 
     
「風の家」はわたしらの週末の家でもあるのだから、ゆっくりのんびりしたいんだけど、気の毒な相方は毎回追い立てられているようだ。

せめて猛威を振るう6、7、8、9月あたりの4ケ月。月1でもシルバーかプロを入れようかと考えてもみるけど…資金もいるし、それもどこまで続くか?

なんて…
うっそうとした草の中では、ついつい悲観的になってしまっていけない。

わたしたちができるのは、「いい気」を入れること。
「風の家」でいろんな人が来て喜び楽しむことは、「家」に悪いものを入れないという“結界”を張るようなものだ。
夢もたくさんあるし、いろんな可能性も広がる。
だけど、それはこの環境があってのこと。わたしたちが元気でいることが原点だ。
そのための課題も、まだまだたくさんあるけど、そういう不便さも、やっかいごともまるごと抱えていくこと、気持いい風も、緑の木陰も、季節の草花も、与えられるものも多い自然に感謝してゆくことが、いちばん大切なことだ。
それが愛する「風の家」と付き合うってことなんだろうと、ツクツクホウシの合唱の中でしみじみと感じた。。。