成長

もう、何度もこのブログにはしつこいほど書いているけど、ていねいにきちんと生きる、というのが、わたしの一生のテーマだ。
ずぼらで、なまけもので、だらしない、コモののじぶんだけど…アリの一歩ながら、少しずつ少しずつ前に進んでいるような気もする。
結婚してからは特に、アリが3歩くらいの勢いで成長したんじゃないかと思う。
きっとだれも信じないけど、これでも隠れたところでいろんなことにトライしてがんばっているのよ(泣)。
たとえば、できる限り毎日新しいメニューに挑戦する、なるべく部屋をきれいに保つ、トイレは気づけばそうじする、〆切は守るように努力する、一日の始まりと終わりには「今日」の日を感謝をするなどなど…
「なるべく」とか「できるかぎり」とか「努力する」とかいう逃げ言葉を使うあたり、まだまだ甘ちゃんだけどね、じぶんなりに、こんな小さな目標を付けて日々を進むと心もだんだん気持ちよくなっていく。それにこうゆうまっすぐな「行い」はじぶんの中の核をブレさせなくなる。
習慣というのは、目に見えない行動力で、人を形成する上でとても大切で、心強いものだというのが、だんだんわかってきた。
で、その「ていねいな習慣マイ運動」の一環として、最近やっていることは、字をゆっくり、ていねいに書くということ。
子どもの頃から、文字を書こうとするたび、父親から「ゆっくり!」の声が飛んだほど、わたしは文字だけは速く書こうとするクセがある。
おかげでヘタな字の上に、思いっきりきたない字になる。取材ノートや手帳に書いたじぶんの文字を読めないことが何度あったことか。
一方、相方の字と言えば、おおらかでのびのびとして、小学生が書く字のようにヘタクソで見るたびに笑ってしまうけど、ていねいであることはまちがいない。
ヘタクソは直らないけど、せめて、きたないはやめて、人が読めるくらいにはしたいと思う。
きちんとゆっくりt書いていると心も静まっていくような気もするし。
で、近頃はちょっとした買い物メモでも、速く書きたい気持ちをぐぐっと抑えて(これがけっこうくるしい)ていねいに書くように心がけている。
それで、気づいたことなんだけど、ゆっくり書いた字は、なんだか今までの書いていたわたしの字とは違って見える。
だけど、どこかで見たことがあるような文字…? とつぜん、気づいた。
「あ、父親の字だ」
母はすごい達筆だけど、父はヘタクソだった。だけど、きっちりきちょうめんなだったので、読みやすかった。母の達筆は兄が受け継いでいるけど、まさか、父の字をわたしが受け継いでいるとは、今の今まで気づかなかった。
おもしろいなあー。こんなところで父との血を発見するなんて。
ヘタクソな字にも、なんだか、ちょっぴり愛着が湧いてきた気がした。