役に立ちそうにない、役に立つもの

1〜2ケ月に一度くらいの間隔で、身体がまったく機能をしなくなる日がやってくる。
身体がなまりを抱えたように重く、深い井戸に引きずりこまれるように眠くなり、起き上がれず、気力も低下して何もする気がおきず、息をするのも苦しくなる。
これが2日ほど続く。
あまりにも定期的に訪れるので、最初はなんか病気かと疑ったけど(ま、白血病の家系だから一応疑ってはみる)、検査にも出ないので、これは身体のサインだと思い、そういうときはもうあらがわず、身体の声にしたがうことにしている。
今週の中ごろ、またまたソレがやって来た。
キツイけど、さすがにもう慣れたので、これが襲ってきたときには、ただひたすら眠り、身体を休ませる。
ただ身体はそうやっていればいいのだけど、身体と一緒に落ちている気力に対しては、どうしようもなくなる。
今回は特にひどかった。
ネガティブな感情、つまり、心配や不安が一気におそってきて、そこに取り込まれたのだ。
何度も打ち消そうとするが、次から次へと湧きあがってくる妄想に近い心配ごと(しかもじぶんが作り上げたもの)におそわれてしまった。そういうとき、外に出て気分転換の散歩などをするのがベストなんだけど、いかんせん身体が起き上がれない。TVやDVDを見るエネルギーもない。
で、どうしたかというと、これが今回の気づきのテーマでして…大好きな大橋歩の「アルネ」をひたすら見ていたのだ。
実はアルネはもう30号で終わったのだけど、わたしは読んでいなかったバックナンバーを取り寄せていた。それがラッキーなことに、たまたまダウンにしているときに送られてきたのだ。
この冊子は、大橋歩が会いたい人に会い、好きなモノや服や食べ物を紹介し、気になる店や場所に行き、感じたことを書いている。つまり、じぶんの好きなままに作っているワガママな冊子なんだけど、これをはじめて見たとき、わたしのやりたかったことをすべて実現していると思った。
デザインがいい、写真がかわいい、文章がすなおでやさしい。目線が生活にちかく、その上、素材がとびきりおしゃれだ。ほんとうにほんとうに、わくわくさせて幸せにしてくれる豊かな冊子なんだよね。
今回もこんなに身体がまいっていても、その冊子を読んでいると、不思議にネガティブなことを忘れて気持ちがあかるくなってきたのだから、とてもありがたかった。

 

で、思ったのだけど、じぶんの好きなままに作っているものって独りよがりのようだけど、作る本人の「だいすき」が詰まっていると、伝えるチカラや、人を元気にするエネジーも入ってきて、きちんと人に役立つモノになっているんだよね。
これがモノづくりの基本じゃないかなー。
まさに、わたしの生きるコンセプト「じぶんが喜ぶことで人に喜ばれたい」ということと同じ。
火事や地震になったとき持ってでるものって、通帳やら、位牌やら、写真やら、金庫やら、人によってそれぞれだろうけど、わたしは以前からこんな見ているだけで、うれしくなる本やモノたちを持って出ようと思っていた。
どん底になっても、こういう幸せの冊子や本などを見ているだけで、ささやかな勇気をもらえそうだから。いろいろあるけど、また、生活をつくろうって立ち上がられせてくれそうだもの。
一見、役に立ちそうにないものだけど、ここにあるたくさんの「好き」や「たのしい」のチカラをあなどってはいけない。つらいときこそ、隠れた大きなチカラを発揮するものだと、今回、あらためて知らされた気がした。
こんな「仕事」をいっぱいしていきたいなー。



で、余談ながら、わたしの定期的なダウンの翌日は(これが実に不思議なんだけど)毎回なにか憑き物を落としたかのように、うそのように、すこぶる元気になる。
これってもしかしてホントに何か憑いてるとか(笑)? もしくは、身体のリセットかもしれないなあ〜