姪っこデー


(冬が似合うDARVIDAにて)



(大好きなS先生と一緒に山を覗く)



(私も姪もこの風景が大好き)



(塩豚、シシカバブ、タンドリーラム!)



(うれしさを体現するおバカな姪)



(友人もわざわざ来てくれての歓迎パーテイ)



10月31日〜11月5日までは、まさに姪っこデーだったと言っていい。
2か月前からこの日を予約し、ほんとうにディズニーランドに行くかのようにわくわくと心待ちにしていたらしい。
東京に居ながら、九州の片田舎の都市にここまで恋焦がれるこの娘は、かなり変わっている。
思えば、小学生の頃からずーーっと、毎年夏休みや冬休みになるといそいそと一人で遊びに来ていた。
最初は独身の私の元へ、やがて、じいちゃんばあちゃんのいる田舎へ、そして、私もケッコンして、じじばばも他界し、状況は大幅に変わったというのに、彼女にとって、私の住む街へのあこがれは変わらない。
それはじいちゃんばあちゃん亡きあとでも、私が居るからに他ならないだろうけど、ありがたいことに、彼女を迎えてくれる相方や、可愛がってくれる友人たちがいるからだろうと思う。
彼女が楽しみにするのは何だろう? おいしいものを食べ歩いたり、夜を通してDVDを見たり、温泉に行ったり、ホームパーティーをしたり、映画に行ったり…ただそれだけのことなのに楽しくて仕方がないらしい。
まだ、心の病は続いていて、薬がないとかたときも不安らしいが、週に3日は仕事に行き、社会復帰をしているらしい。
姪を見ていると子ども返りのような感じで、言葉も服装も、とてもその年には見えなく、おばさんは行く末を心配していたのだけど、どうも、彼女はしっかりじぶんを維持し始めているような気がする。
将来のビジョンは、現代のカレシとケッコンして(その頃にはじぶんの病いも治っているだろうと希望的予測)、家事や料理は一切母親にやってもらい、変わりに母親のめんどうはみる。その約束がすでに母親とできているというのだから驚く。
ついに母親から独立せずに、依存したままで生きていくことに腹を決めたらしい。
そ、それでいいんかい?母親が死んだらどうするんかい?と、老婆心ながら思うのだけど、そのあまりにも堂々とした揺るぎのないビジョンを聞いていると、やはり私がかつてからニラんでいたように、ほんとうはコイツはかなりたくましいんじゃないかと思うようになった。
今は依存しているものの、いずれは母や父のめんどうをしっかり見て、養っていくのは、彼女なんじゃないかと。事実、あの家の父親(私の兄だが…)が収入がなかったとき、経済的に家族を養っていたのは姪っこだった。それ以前には言葉もわからないのに、単身ロスに行き、ネイルの学校を卒業し、認定まで取得している。おまけにその間、しっかりめんどうを見てくれるファミリーと出会い、タダで何から何まで世話になっているのだから。
しかも、ウツ病になってさえも会社が彼女に頼って、来られるときだけ来てくれればいいからという特別待遇で、今や会社にとって、なくてはならないネイルエデュケーター(インストラクター)だと言うのだから。
姪は気が弱そうでもじぶんの意見はハッキリ主張する。ケンカのときも少しも怯みもせず、揺るぎなく弁が立つ。
欲望に忠実で、何よりもじぶんを知っているし、分相応だ。
あんがい、こうゆうタイプが生き延びるんじゃないか、と最近会うたびに思えてくる。
それに最近思うことは人間、最後まで生きてみないとわからないよな、と思うのだ。今を見てもどう変化するか、ほんとうに10年先にはわからないもの。事実、この私がそうだったから。
そう思うとこの姪っこがどう化けるのか、楽しみでもあるオバさんだった。