幸せなのかもしれない

いつも人目を気にして、自分が正しい位置にいないと気がすまず、

いつも人に心を開けず、だれにでも気を使い、

いつも自分のことは二の次で、自分に楽しみを与えてはいけないと思い、

いつも人に迷惑をかけたり、人をわずらわすことが苦痛で

父が死んだあとは、

いつも自分の病に泣き、自分をあわれみ、不運をのろい、、

そして、

体中の痛みに耐え、シモの処置に嘆いていた。

脳障害のために別人となった今の母は、どこか違うところをぼんやりと見つめ、ベッドにくくりつけられても、なんだかしあわせそうに見えた。

「夜、ひとりでさみしくない?」と聞く私に

「さみしくなあいよぉ」と、ろれつの回らない言葉で答えた。

今、やっとすべてのことに解放され、母はしあわせなのかもしれない。