母の生き様

ひたすら眠る昏睡状態のち、認知症状。

昨日は私と会話し、相方を気づかっていたのに、今日はもう認知さえしていない。

目はうつろで焦点があっていない。今日は暴れる母を一日中抑えていた。

今夜は手に袋をかぶせられ、胴体を拘束するらしい。

暴れながら、空に手を伸ばし、わからない言語を話す母はまるで赤ん坊のようだ。

ついこの間までは病室で携帯メールをし、DSのゲームまでしていて、看護師たちを驚かせていたというのに。

生きるために、治るために期待して挑んだ手術が、母の病を進行させ、脳までを壊している。

痛みがないのが救いかもしれない。

意識があるうちに会えてありがたかった。

抗がん剤治療までいかなくて幸いだったかもしれない。

そう納得させながらも、早く楽にしてあげたい。思わずそうつぶいたとき、介護師の甥が言った。

「拘束服はうちの施設でも見慣れているけど自分のばあちゃんにやられると辛いな。だけど、あれだけ体を動かすほど、ばあちゃん生きたいんだな。それに目をそらしちゃいけない気がする」

そう。楽にしてあげたいのではなく、自分が楽になりたいんだ。

母はまだ、自力で何とかしたいと本能で闘っているのだから。

手術のための一時的認知症であろうと、肝臓が機能せずに現れた脳の障害であろうと、母があきらめていない限り、しっかり、最後まで見届けなくちゃ。

たくさん食べて、体力付けて、明日も一日、おかんに付き合うぞ!