再びの東京

先週末から東京に飛んでいる。
ついに母の手術。
これで完治できるとは誰も思ってはいないけれど、現状はそれしか選択肢はなく、母だけは楽になること、また元気に日常生活を送れることを信じて手術に臨んだ。
そして、兄からの電話。
「骨にまで転移して肝臓は機能していない。止むなくそのまま閉じました」との医師から言われたとのこと。
ここ1週間が山だということ。
私はそのまま翌朝の飛行機で東京に飛んだ。夕方の飛行機では相方も飛んできた。
会うなり母が相方の名前を呼び、存在を尋ねたからだ。それを相方に伝えると、最後に父に会えなかったことを悔やんでいた相方は意識のあるうちに母に会いたいと、取るものも取り合えず飛行機に飛び乗ったようだ。
今、母は体中チューブにつながれ、小さくなった体で必死に治ることに向かい、幻覚と現実を交互に行き交っているようだ。
父の納骨のために桜の季節に帰ると言っていたのに、桜並木は病院でしか見れなかったようだ。
母の人生が終わるのは明日かもしれない。もしかすると1週間後かもしれない。それとも細々と延びて今年いっぱい延びるのかもしれない。
いずれにしても、母がまだ生かされているということは母には仕事が残っているのだろう。
同じ女同士だからだろうか。母の死は父よりも親く、とてもリアルだ。
もう少し…時間が許す限り、母のそばにいたいと思う。

今の私にはそれしかできることが何もないから。