初秋の連休 その2

● DNAか星の巡りか?

父が教師をしていたことだけでなく、父自身が本来人間好きなこともあり、わが実家は常に客の多い家だった。父の学校の同僚や部下、現役生徒から教え子、親戚、友人…など、人を招いての宴会が開かれたり、仕事帰りに父が人を連れて来たり、田舎なのでアポなしに突然訪れたり。そのすべての客に母と祖母(母の実母)は、常に料理をふるまい対応していた。母の作るもてなし料理は父の知人や教え子や親戚の間でも評判で、父の自慢でもあった。
当時の母は、いつでも、だれが来てもドーンと受け入れる一見、肝っ玉母さん風に見えたが実はかなり無理をしていたことを、子ども心にうすうす感じていた。客が来たときの穏やかな対応の裏には、台所で緊張し、時にはテンパって料理に向かう母をよく見ていたし、その反動のヒステリーを何度も受けたこともあったからだ。
母の時代は、夫に従うこと、つくすことがあたりまえの時代であり、母は特に子どもの頃から「何でもできるしっかりもの」で通っていたらしいので、結婚しても、「よくできた教師の妻」から抜けられなかったのだろう。
母が本来の自分の性質を認め始めたのは、父が退職して、子どもたちも独立して、「校長の妻」の座を降りてからだった。さらに、人の目がうるさい田舎を離れ、孫たちのいる東京に小さな住まいを構えたときは、父も母ものびのびとしていた。
特に母はやっと周囲の「人間」から解放され、自分独りの世界に没頭し始めた。
絵を描いたり、本を読んだり、習い事をしたり…実は人付き合いが苦痛で、独りで家で遊ぶのが一番好きだと気付いた母は、もう、父の友人が家に来るというだけでもきっぱりと拒否をし始めた。
だけど、気付くのが少し遅かったのかもしれない。ずっと自分に無理を強いていたために母は体を病んでいた。
高血圧になり、C型肝炎になり、肝臓をわずらい、大腸ガンになり、すでに大きな手術を2度も行った。そこまでならないと、母は自分を解放出来なかったのかもしれない。
たとえ、いつどうなるかわからない大病を抱えていても、今の母はとても幸せそうで、人生に対しても前向きでいつも明るい。パソコンや携帯メールも自由に使いこなし孫や私とメールをしながら、好きな時間を過ごしているようだ。
さて、そんな母を横目で見ながら、やはり子ども時代には人間嫌いでひきこもり気味だった私は(誰も信じてくれないが…)と言えば、気付けば母と同じ道をたどっている。
マンションには私の友人が来るわ、相方の友人が来るわ、田舎ハウスには相方の両親始め、父の友人、親戚、母の両親などが次々と押し寄せてくる。いやいや、私自身が仕掛けているのもある。
敬老の日だから、お肉が手に入ったから、休日だから、今日はカレーを作ったから…などなど、どうでもいい理由で誰かを呼んだり、食べさせたり、母と同じようなことをしている自分がいる。
ただ母と違うのは、自分は人間嫌いの母のDNAと、人間好きの父のDNAの二つを受け継いでいるということだ。さらに、人間が周りに耐えないという星の下(天王星人)に生まれていることもあるようで、今だに家で過ごすひきこもりのような独り時間は大好きだが、人を招いて喜んでもらうのも、また、大好きなのだ。
同じ星人の相方もまた同じ気質を備えているようだ。相方といて何が楽かって、喜び、楽しむことが同じで、イヤだと思い、恥ずかしいと思うことが同じで、大切にしたいものが同じだということだ。まあ、これは根本的な価値観が同じだということだろうけど、これがズレるとかなり疲れるだろうと思う。
そんなこんなで、前フリが長くなったけど、連休は千客万来だった。
だけど、おかげで料理の腕に磨きがかかった。さらにありがたいことに、客人たちからのもらうものの多いことったら!
野菜にカボスに、お肉にお餅…田舎に居れば、いや、客が来る間は、当分食いっぱぐれがなさそうだ。

● 連休の食卓

  
 (サケとタラのちゃんちゃん蒸し)  (朝食は庭で)


  
 (父の友人が来て庭でバーベキュー) (敬老の日は相方の祖父母を招待して)

● ついに…
昨日連休最後の大雨の日。私が原稿書きにいそしんでいる間に雨ガッパを来て相方が独りで始めたことは…
なんと、ピザ窯作り!! 
まだ、土台だけだが完成を乞う、少しご期待…だ(笑)。