何もしない連休

今回の連休は誰も呼ばず、何もせず、本気で休もうと予定していた。
ここずっと週末に朝早くから身体を動かしている相方の体調がすぐれないこともあったが、この、連日の猛暑と湿気には、さすがに外で動く気にもなれない。それで相方には、身体を休めてのんびり過ごしてもらい、彼が気持ちよくシェスタをしている間に、私は家の中で一人、またまたちょこまかと部屋の片付けに精を出した。
ここが最後の部屋のしつらえだと言っていい。
両親の寝室を納戸代わりにして、家から湧き出すガラクタを詰めていたが、先週やっとゴミ処理場に第2弾のゴミ捨てに行き部屋に空間ができ始めた。となると、この部屋をもっと生かすことはできないか?と欲が湧いてくる。
そこで、残しておきたい両親の服や書類、写真や雑貨、賞状などを一つの押入れの中に仕舞い込んだ。ぼろぼろに敗れていたフスマは先週、燃やしていたので、そこにレースのカーテンを付けた。次にその向かい側に両親の桐箪笥を二つ並べてはどうだろう?そうすればもっと広い空間ができ、また、新しい小部屋ができそうだ。そのためには、古い祖母の桐たんすから、祖母や母が着ていたすべての着物や帯を移動させなければならない。
桐箪笥の中から出るわ出るわ…年代物の帯や古い着物や和装小物たち。母は電話で処分してもいいと言ったが、さすがにこれは捨てる気になれず、キチンとして取っておくことにした。けど、箪笥を動かした壁がやけに汚い。何か隠すものはないだろうか?と思い、ふと気付いたのが先ほどの帯。
どうせ、処分していいものなら切って掛けてタペストリーにしちゃどうだろう?
相方が「マジ、切るの?」と騒ぐ声を聴きながら、ジョキジョキと思いっきり3つに切り放した。
  
どうよ!汚い壁も隠し、古かった帯も生きたじゃないか。
それにしても…今回古家を片付けながらつくづく感じたのは、日本家屋の収納の多さだ。1に収納、2収納。そして、古い家とは言え、高度成長期に建てた家というのは、アメリカナイズされた憧れの応接間とシャンデリア、さらに、冠婚葬祭、法事やらの集いのための大座敷だ。築30年以上立った家には、この3アイテムがほとんど揃っていると言っていい。だから、家は小部屋でチマチマと仕切られ、やたら収納が多く、そのためわけのわからん柱が点在している。
そのおかげで数ある押入れの中には、「とりあえず」と「いつか」という思いを添えたモノがどんどん蓄積されて、やがて忘れられていた。これはうちの両親だけに限らず、「捨てる」ことに慣れていない、罪悪感を感じる世代の家なら、たいていこの状態らしい。自分たちが楽しむことなど2の次で、とにかく体裁を繕うことを優先した家づくりだ。そう思うと家は時代とともに、どんどん個人的になって来たと思う。いい意味(悪い意味でも?)、自己チュー的な家づくりになっている。
私らがまさにそれ!この典型的な築30年の家をゲリラチックに、自分らが住みやすいように使いやすいように、どんどん個人的空間に替えているもの。そんな模様をブログや写メで両親に見せているが、その度ごと、両親たちには考えられない発想に驚き、そして楽しみ、喜んでくれている。
まだまだ細かい点は残っているけど、最後の部屋替えは終わった。どこの部屋もとても自分たちのお気に入りになって来た。先日ゴミ捨てを手伝ってくれた友人から、「今までどこかお客さんっぽかったけど、今はすっかり自分たちに馴染んだ部屋になって来たね」と言われてうれしかった。
「遊び」半分「生活」半分が、よかったのかな。
これからますます、労力と技術とセンスを必要になってくると思うけど、そんな時、母の言葉を思い出す。
母が電話で何度も言ってた言葉は、「家のことで楽しんでくれるならいいけど、決して無理しないでね。身体もお金も、無理をしたら元も子もないからね」
無理せず、自分たちに見合った楽しみ方をする。そうです、お母様。これがこのプロジェクト(?)の基本です。