Casa de Vient o(風の家)

Teresa2008-05-16



週末の家をCasa de Vient(カサ・デ・ビエント)=「風の家」と名付けた。
高台なため、風通しがとてもよく、台風などの時は風当たりがとても強く、風のように人が出入りできる家、ということからのネーミング。
で、この「風の家」に今月は週末がすべてつぶれて行けないので、平日に2泊し、片付けに出かけたのだが…、片付けれども片付けれでもモノがあふれるように増殖してくる。昔の家だから収納が多いゆえ、ましてや、捨てることに罪悪感を持つ世代の人たちなので“とりあえず”と溜めておいたものが山のように家には詰まっている。収納の扉を開くごとに衣類、雑貨、紙、布、他のガラクタ(?)が湧いて出ている。外もまたしかり。先々週、草取りに励んでいた相方が業を煮やしてホームセンターにすっ飛んで草刈り機(充電式)を買って来て、ほぼ一日かけて刈ったはずの草が、またまた勢いを増している。おまけに夜はムカデが出没。ギャーギャーわめいて相方とふたりでつぶしたが、やがて、ヘビやマムシが現れてくるのだろう。なんでここまでして、この家に住まなきゃならんのだろう?!と、時々凹みそうになる。
なんせマメではなく、できればダラダラしていたい怠け者の上、コツコツと自分たちの手で何かを仕上げることに喜びと感じないふたりだから(苦労せず手っ取り早く快適を手に入れたいという快楽主義の天王星人組)、金があればサッサと自分たち仕様にしていくだろうが、そういう余裕はないので自分たちで動くしかない。ありがたいことに助っ人を買ってくれる人たちもいる。そんな人たちの手を借りながらも、少しずつだが、自分たち仕様になって来たような気がする。

なんだかんだ言っても、週末になるとキャンプに出かけるかのごとくいそいそと大荷物を抱えて出かけている。
鳥の声に起こされて目覚める、あのすがすがしい朝の空気はマンションでは味わえない。TVもネットもない時間も新鮮だ。その土地から醸し出す、自然の癒しの気なのか、ゆったりとした時間なのか、週末の変化なのか…“何だかわからない”目に見えないものにふたりとも魅かれているのは確かだ。
相方と話すのは、二つの家を持つということは、贅沢かもしれないけど、とても豊かだね〜と。
大金をかけなくても、小金でこんな豊かさが味わえるのは、ありがたいことだし、これこそ、文化だと思う。こういう個人レベルの文化って、今の時代、本当はもっと必要なんじゃなかろうか?
この豊かさを他の人たちと共有できたらもっと楽しいだろうな。それで、完成までの計画を立てた。
ステップ1:ガラクタ捨て(蓄積したガラクタや住人の念や気を払い、きれいに浄化するスペースクリアリングの段階)
ステップ2:ハウスクリーニング。床から棚から窓ガラスから畳からきれいに吹き上げる。これは半分プロに依頼しようかと思案中。
ステップ3:DIY。障子ハリ、襖ハリ、ペンキ塗り、庭づくり…etc(コレ書いててダレがやるんじゃい!と思ってしまった)
ステップ3:しつらえ。インテリアや、小道具を揃える(誰が泊まってもOkなように)。
ステップ4:招待状を出す。メールでもいいけど、できれば写真を撮ってリーフレットみたいなのを作って、親戚や友人に送りたい。
コンセプトは最初の希望通り、週末ハウスだったり(誰でも)、集いの家だったり、寄り道の家だったり、一時住まいの家だったり、独りになりたい時の家だったり…まあ、そういう使い方。一晩500円くらいもらってもいいし、掃除や草取りとか水やりしてくれたらタダでもいいし。知人の紹介があれば、知らない人でもいいし。
今はステップ1の段階で、私が一番楽しいのはステップ3あたりからだ。まだまだ先は長いけど、大人の遊びだと思って苦手な“地道に、コツコツ”とトライして、楽しもうと思う。
それにしても、最近、古屋をこういう使い方する人ってけっこう増えているらしい。B&Bとか、民泊とかも増えたらしいけど、利益とか考えずに楽しみだけでやってる人や、やりたい人もいるらしい。観光地じゃなくてもいい。どんな田舎でも都会でもいいから、日本中、いや、世界中どこに行っても、こんな安くて気軽な寄り道できる「家(宿ではなく)」があれば、もっと自由な旅ができるだろうな。「家」の泊まり歩きも面白そうだし。おうちお泊りネットとか、ないもんかねー。