企画書2つ書いて思ったこと

本の原稿書きを一時中断。
専念する前に片付けておかなければならない企画が2つあるからだ。
1つは、新たに売り出すアンチエイジング化粧品にちなんでのPR企画。アンチエイジングにかけてはけっこううるさいというか、研究していたけど、これはかなりのシロモノ(お値段も!)。私に与えられたのは、マスメディアを使わない方法。
って、けっこう難しい。一人でもんもんと考えていると頭が煮詰まってくる。
こんなときに役に立つのが相方だ。何の情報も入っていない「素」の人間に、雑談交じりにこうゆうのどうかな…と話していくうちにブレスト(ブレインストーミング)になっていって、いいアイデアが浮かぶからありがたい。
どうにかコンセプトが固まり始めた企画を、朝4時起きで練り上げて仕上げた。
できた企画書をメールで送るより、口頭で言った方がいいと直に会いに行き、担当者相手にプレゼンをした。
自分で言うのも何だがかなりいいプレゼンだったと思う。担当者が言葉の通じる人で(つまり理解力のある)スラスラと言葉になり、企画書に書いていた以上のことも言えた(その場で思い付いた)。その成果もあり、担当はとても新鮮だと、喜んでくれた。
「さすがですね、いい企画です」とか褒められちったよ。でもこれは第一関門の代理店担当者だけ。当のクライアントに通過するかどうかは、まだわからないし、かなりハードルも高そう。
やれやれと一段落…もしていられない。次の企画立案が待っている。
2つ目は県のコンペ企画で去年は惨敗したから、今年こそは、と傾向と対策を変えた。つまり、お役所使用にしたのだ。コンビのカメラマンと話し合い、企画を考えたけどKカメラマンはほとんど、「お任せします」状態。
半分考えていたので楽勝だと思ったけど、これがなかなか…具体案を出さなければならないのでけっこう手間がかかった。〆切の午後5時30分前にギリギリセーフ!
後は、2つとも結果待ち。今度こそやれやれだけど…
今回の企画考えていて、少し反省、というか気付いたことがある。
もう少し遊ぼうってこと。
今まで両親のことや、雑事に追われて去年は映画も少ししか観なかった。旅行にも友人とのおしゃべりにもコンサートにも、街歩きさえしていなかった。
ぼーっとしてはいたけど、それも疲れていて動けなかっただけのような気がする。
こうゆう遊びをたまにしながら風を入れておかないと企画を立てるときに何も情報がない。情報とは、新しいことや流行のことではない。自分の“感性”やアンテナのことだ。もちろん、日常の生活から学ぶことはたくさんある。
だけど、それだけではない違う風を入れることが、この仕事には、いや、自分には大切なんだと改めて気付いた。
心と体と頭をサビさせないためにも。
街をぶらついたり、自然の中に入ったり、本屋に入ったり、小さな旅をしたり…こんな、何も生産していないようことが、実は生きるためにはものすごーく大切な要になっているじゃないかって思う。
極端かもしれないけど、こうゆうことに時間を割けば、戦争なんて起こらないような気がするんだけどなあー。
余裕がないとか、時間がない、とかいうことがすでにサビ付いているんで、それは逃げでも怠惰でもあるような気がする。
そんなことをツラツラ考えていたときに開いた「ほぼ日」で、糸井重里センセイが同じようなことをコラムで書いていて驚いた。
『仕事に邪魔者は必要なんだと僕は思う。雑事や家人のことやその他のもろもろのことで追われているとき、何も邪魔されず、仕事に没頭したいとか思うかもしれないが、何もかもを排除して没頭して生まれたものは、「ひ弱」なんだ』。
これはちょっとカンドー。かなりうれしい。まさにその通りだ、と。
こうゆうの読むたびに、糸井重里とか「アルネ」作ってる大橋歩とか、正しい仕事や生き方してるなあって思う。正しいっていうのは、正義ではなく、「愛」がある自分にも人にも気持ちいい仕事ってこと。お金だけなく「人生の仕事」もしている。
これはささやかでも、人を幸せにしてるよね。
私もほんの少しだけど、そんな「仕事」に近づきつつあるような…気がする?
ま、とりあえず急ぎの仕事は終わったから、これから本の原稿書きに専念。
週末は実家にPC持っていって静かな実家で桜見しながら…。
日曜日はお弁当でお花見、お花見…♪