ありがたい贈り物

なんだか泣けてくる〜♪
って、CMソングじゃないけど、あまりの周辺の騒がしさに負けそうだ。
今度は、ナニ? もうすぐ、姪が長期療養のためにUターンしてくるという。
姪と私はまだ、彼女が5歳くらいの頃から友人のような会話をしていたほど「縁」が深い。彼女は本来生命力がかなりあったはずだ。いちばん愛する人から常に自分を否定されて来たからか、ここまで壊れるとは想像もできなかった。
せめて、ワーホリに送り出せるほどリハビリさせてあげたいと思うが、どうなることやら…
考えてみれば、どうも結婚してから、まるで試練のように、さまざまなことが勃発しているような気がする。しかも、家族間のことで。
そう言えばかつて独身のころ、確かに私は願ったはずだ。
もっと進化したい!と。
その頃、私はマジに自分以外の他者を愛せるのか?とかなり危機感を抱いていた。ヘタすると、誰も本気で愛さないまま死んでいくんじゃないかと思ったりした。「愛」を知らずに死んでいくことは生まれてきた意味がないということだ。独りでいるということは、進化が早いと思う。自分と向き合い、心と向き合う時間も空間も作れるからだ。だけど、もうあの頃の私は自分だけで成長するには限界だじわじわと感じていた。誰かと生活を共にし、交わらなければ、自分の「我」から自由になれないだろう、と。
独身の頃は仕事、友人関係でかなりいろんなことがあり、それを教材にして学び、成長していったと思う。だけど、友人も知人も切ろうと思えば切れる関係だ。現に私は、もうダメだと思った先から切って来た傲慢な人間だった。
「情をかけるだけかけて、ある日突然切るナイアガラ落とし」と批判されたこともあるほど(泣)。だけど、年を重ね、人と交わりながらも、少しばかり成長し、やさしくなれたかなと思う。やっと、「愛」が何かをわかってきた…ような気がする。
そして、今、切ろうにも切れない家族という関係の中で右往左往している。
この状況って、私が望んだことなのかな?
「これは贈り物なのよ」と、ある人にも言われた。「こんなさまざまなことを受け止めて、あなたは、人の心に伝わるあなたの文章を書けるのだから」と。
だとすれば、これはありがたく受け取るしかないじゃないか。
今、起きていること。その中で仕事をしていること。
確かに、自分の進化への贈り物なのかもしれない。