打ち切り

いつか終わりは来るだろうとは思ってたけど、まさか、こんなに早く来るとは思ってもみなかった。
今日、レギュラーの新聞の打ち切り宣告があった。
覚悟はしていたものの、思いの他ショックを受けて凹んでしまった。
打ち切り理由は、採算が合わない
採算?採算…って金のことだよね、もちろん。
即金にはならんでも、イメージあげたと思うよ。ソフトでは採算あってたと思うよー。
けど、現実問題。そう、これがいつも強い「現実問題」。
まあ、そうだろうな。5段の広告だけだし、記事広告もしないとガンとなって断っていたものなー。
あの保守的な地方新聞で、あれが実現していたことこそ奇跡のようなものだったかもしれない。
あの仕事は、プロダクションから請け負い、自分が企画し、編集し、取材、執筆も兼ねた仕事だった。
ずっと、情報だけを伝える情報誌ではない、人の心に届く仕事をしたかった自分にとって、ものすごくタイムリーな企画だった。プロダクションの社長が信頼してすべてを任せてくれたために思い通りにやれた。スポンサーの新聞社も珍しく、金は出すが口は出さないというスタンスを守ってくれた。
あんなに、楽しくいい仕事は、めったにできるものじゃない。
スタッフも気持ちも方向性も一緒だったし、作業は大変ながらも全員がすごく楽しんでやれた。困難なことも、どこか何か違うチカラが働いていたような気もしたほど、不思議にすべてがスムーズに行った。
しかも、うれしいことにアンケートはがきを見ると、私の投げたボールを読み手である読者が見事にキャッチしてくれていた。取材された人、たまたま出会った読者の人からもものすごく喜ばれて、うれしかったなあ。
同業者のライターからも、「あれは今までになかったいい企画だったよ」と褒められた。
だけど、肝心な発行元の新聞社が一番認めていなかったのかもしれない。と、いうか、その企画意図を理解していなかったのかもしれない。
人の気持ちにつながっても、即、お金につながりそうにないものは今はやっぱり難しいのかもしれない。
「打ち切り」は凹むけど、こんな仕事にめぐり合わせてくれたことには、本当に感謝だ。
短期間だったけど、自分なりの仕事ができたこと、そして自分らのエネルギーがしっかり伝わっていて、もうそれだけでやった甲斐があったかな、と思う。
「打ち切り」理由が内容ではなく、採算だっただけもありがたかったよ。願わくば、総集編を作りたかったけど(泣)
だけど、これって、やっぱり一つの暗示でもあるような気がする。
自分のやりたいことはスポンサー無しでやれ!
って?
そうなんよね、つい最近、考えていたことに通じるのよねー。
くそー、転んでもタダでは起きんぞー!!
ネガティブな気持ちを無理やりポジティブに替える私はネガティブだと相方に言われたけど、これはこれでテクと体力がいるんだよ。
その方法は思いっきり落ちて底の底まで行き、次は這い上がるしかないところまで追い詰める。
何度も繰り返していると、上がるのが早えーのなんの…その上、起き上がるときには必ず何かを手にしている。
で、私は陰きわまって陽になり、したたかに、タフになった。
今回も少し凹んだあとは、どっこいしょとまた立ち上がり、手土産持って次に行くっきゃないようだ。
残り時間は少ねーぞー!
と、自分にハッパかけながら。