本を出すということ

プライズパーティで気付いたこと。
童話作家の従兄姉がまたまた本を出していた。彼女は私の昔から憧れの姉さんで、もう随分昔に児童文学賞を取り、初めて世に本が出た。それから、数年単位で、コンスタントに本を発行している。
パーティの席で、従兄姉が最近出した本を披露した。みんな大騒ぎ。スゴイな〜!印税はどのくらい?と、まあ、セレブ扱いだ。
そろそろ出るぞ、と思ってたら、案の定、その中の一人が言った。
「K子ちゃん(テレサの本名)も本を出せばいいのに…」
やっぱりな。
不思議なことに、メディアに乗って名前が出るってことは、かなり‘スゴイこと’になってしまうらしい。
記事を書いても、名前が出てる?と必ず聞かれる。
それは何でだろう?と改めて思う。
本を出したりすることよりも、世間で無名でも、すごい人はいっぱいいるよ。私は取材の中でそんなたくさんの人をいっぱい見て来たよ。
長い長い長い間、ライターをやって来て、そんな人の声や生き方を伝えるのが私のやりたいことで、人生の‘仕事’だとも思っている。
今作っている新聞がまとまって本になればいいと思う。
来年出す大地からの本がいい本になればいいと思う。
だけど、自分の本ってなんだろう?
私も出したいとか思ってたこともあったけど、なんか本を出すために、無理やり題材を探しているみたいで、本末転倒だなと思う。
つまり認めてもらいたいとか、スゴイとか言ってもらいたいがために、出そうとしているみたいで。
まずは、書きたいものがあって、伝えたいものがあっての、本だろう。
私が書きたいもの。それは現場を伝えること。
今は自分の本よりも、それに専念している。何が何でも伝えたい現場が出て来たら、自分だけの本がきっと生まれるだろう。
そのときは、外からの評価が欲しいのではなく、内からの衝動に突き動かされて出ていくんだろうと思うし、そうあってほしいと願う。
それでこそ、いい本は生まれてくるのだから。