文章の不思議

昨日、たまたまTV見ていて驚いた。
映画化にもなった「サラ、神に背いた少年」の作者J.T.リロイが実は実在の人物ではなくて、書いていたのが中年の女性だったというのだ。
ニセモノの写真を使っていた編集者も編集者だけど、その後のインタビューに出たのが、本物の作者に雇われた女の子の男装だったというのも驚きを通りこして、笑いたくなるような話だ。きっと世界では大スキャンダルだったのだろうけど、今の今まで知らずにいた私は思わず、あんぐりと口を開けてしまった。
なぜ、作者がそんな手の込んだことをしたのかと言うと、中年女性が書いた‘小説’では出版社が誰も相手にしてくれなかったと言うのだ。それが実話で16歳の少年が書いたとなると、とたんに不可価値が付いて来たらしい。
同じ文章で、同じストーリーでも、絵空事から一挙にセンセーショナルに変わり、果ては美しい芸術作品とまで言われ始める。
絶賛した評論家たちって、いったい…??
文章って上手ければいいというのではないらしい。
いい人でマジメで誠実な人が人気者にはなりえないのと似ている。
なら、何か?
パワーとオーラと旬かな?J.T.リロイの本物はもちろん文才があった。けど、彼女自身が放つオーラがイマイチ足りなかったのかもしれない。
私は自分でも思うけど、決して上手い書き手ではない。ボキャブラリーも貧困だし、句読点も未だにめちゃくちゃだし、コレという決まりも持たない。
ほとんどノリと流れで書く。
それで今だに、何度か失敗もしているけど(泣)、それでも、いつもいつも心がけていることがある。
それは根底に愛があること。
その対象者に、出来事に、モノに、そして自分が書く文に。
それがなんとか読み手に伝われば…と思うのだが、こんな読み手を意識しないブログは好きに書くあまり、暴走し過ぎて、あぶねぇあぶねぇ…
ちゃんと意識をすることが大切だと気付いた今日この頃…でした。