生まれたことに 生きていることに

つい3日前に誕生日が来てしまった…。
ま、大台超えたんだから、後はもうこの先は楽しむっきゃないかあ。と開き直りにも似た心境で大した感慨もなく過ぎていくはずだった。
だけど、その日はまあ、次から次へと家族や友人からおめでとうメールの嵐!!さらに、義母は電話をくれ、義弟は風邪気味だというのに会社帰りにわざわざ立ち寄りプレゼントを持って来てくれる。
自慢じゃないけど、私は人の誕生日をどうしても覚えきれない。家族の誕生日だってあやふやだ。
かろうじてセーフは、相方の誕生日くらいだ。
こんな不義理のオンナに皆様は本当によくしてくれるし、誕生日まで覚えてくれるとは!
私がこの世に生まれ、今、ここに存在し、こんな幸せな日々を送っていることだけで感謝だし、考えれば、もうすごーいビッグプレゼントなのだ。
これはドイツにいる友人のブログで知ったことだけど、ドイツ人は誕生日の人が、友人や家族を招いてお祝いをするという。
通常とは反対のようだが、私にはこの方が理にかなっているし、なんか本当のような気がする。
生まれてきたこと、今、生きていることを祝ってもらうより、誰かれなく、ありがとう!と感謝してまわりたいほどだもの。
今日、生きているだけでもうけものだというのに、思えば私は、今、ものすごいお宝に恵まれている。
価値観と質感と空気感の合う貴重なパートナーに恵まれ、そのファミリーもみんな私によくしてくれる。実家の両親は老親ながら、まだ自力で頑張れるほど健在で、兄も姉も甥も姪も金はなくとも、元気でみんないい人間だ。まわりには犯罪者もイジワルな人もいない。友人もいいヤツばかりで、仕事は次々と入って充実して、出会う人はみんないい人で、私を刺激してくれる人ばかり。
毎日が楽しくて、満たされていて、健康で、やりたいことはいっぱいあって…これだけでも、なんかスゴクないか?と、改めて思うのだ。
この恩に報いるのは、私自身がもっと幸せになること。
そして、そのおすそ分けとして、私の文章が誰かの手助けになり、幸せにすることだと思う。
折りしも、今の仕事は、生活のためではなく、人生の仕事のようだと心から思えるようになって来た。
これを天職というのだろうか。
天の仕事と思い、可能な限り、ペンを…いや、指を走らせたいと思う。