エンジニアの嫁さん

昨夜、いつものごとく深夜に帰宅した相方が、放電作業(延々と意味のないTVをぼーっと見続ける作業である)を行っているとき、ぽつんと言った。
「僕らの会社ってけっこう多いんだって、年上のヨメさん。一回りの上の人もいるらしいよ」
それを聞いてなんだか嬉しかった。もう、ほぼ消えかけている(というか、忘れかけている?)とは言え、未だときどき頭をもたげる、半端じゃない年齢差のコンプレックスが少し和らいだ気がした。
前後の脈略がなく突然、わざわざそんな話をするあたり、きっと相方も嬉しかったんじゃないかと思う。その後に、やはり年上女房を持つ同僚が言ったという。
「年上じゃなきゃ、こんな仕事をしているオレたちと付き合っていけないよな〜」
うん、半分当たっている。けど、半分は違うぞ。
相方はエンジニアだ。開発や最近では製造の仕事もしている。会社に利益をもたらしたプロジェクトチームの一人として、要の仕事を任されている。今のチームは相方の他に新人や派遣しかいないそうである。朝7時半に出て、夜はほとんどシンデレラ状態、12時ぎりぎりだ。
まるで仕事場に住んで、家に通っているようだ。
こんな状況のオットに付き合えるのは年上だからか?
違うだろ!私の知人で、我がまま放題の年上女房に辟易して離婚したのがいたぞ。相方と似たような状況の友人の一人は、10歳近く年下のしっかり女房だぞ。
だから、決して一概には言えない。年上イコールものわかりがいいとか、寛大だとか…は。けど、一つ言えるのは生きてきた年数をしっかり味方に付けてきた人には、経験が身に付いている。忍耐力もついている。キャパがいくらか広い分だけ、柔軟になっている。
つまり「我」がかなり希薄だということ。だから、我がままにならず、相手の「我」を受け入れ、相手側の立場にも立てる余裕もゆとりもあるのだと思う。
事実、私は人と絶対に生活できないと思っていた。だけど気付けば、いつの間にか一緒に住んでいる。自分を自由自在に動かす軽やかなテクが、いつの間に身についていた。
細々ながら、さまざまな経験、特に人と関わることを重ねて、重たい「我」のよろいを脱ぎ捨ていることを、「人」と生活して初めて実感したのだ。
一人で充分心地よかったけど、二人でも心地いいんだってことも初めて知った。
それを言うと、「そりゃ、ご主人がいい人だからよ」と皆、口を揃えていう。まあ、確かに。だけど、私はちょこっと腹ん中で笑う。バカめ、いい人だけの人なんか、いやしないんだよ。アイツがどれだけ一クセも二クセもあるニンゲンか皆知らんのだ…(だから面白いんだけど)。現に、かのマザー・テレサだって、偉大なダライ・ラマだって、超クセモノらしいんだから…(あ、比べる人が大モノ過ぎる?)。
で、何を書きたかったのかって言うと…あ、そうそう、年上のヨメさんね。
結局、年はあんまり重要じゃないってこと。年齢差に思いっきりこだわった自分が言うんだから間違いない。波長と価値観と相手への尊重、それと、少々の努力かな?
ま、うちは精神年齢だけは同級生みたいだから、とりあえず、うまくいってる。
今後もうまくいくと思う。まず、私がいつも楽しく、私自身を幸せにしていればね。