カメ、遠方より来たる

金曜日、ふっとカメの顔が浮かんだ。
私はためらわず、「明日、時間があったら出掛けて来ない?」とメールを打った。カメらしく、朝打ったメールの返信が夜中に帰って来た。
「ちょうど、明日休みになったんだあ、行きま〜す」と。
で、土曜日。カメははるばる山越え山越え、やって来た。
カメは電気もやっと付いたかのような山奥の農家に嫁いでほぼ20年になる。
85歳のおしんのようなばあさんの姑を抱え、役所に勤める旦那の嫁で三人の子の母でもある。
ごく普通の見合い結婚をしてごく普通に子供を持った、ごく普通の主婦だ。だけど、私がスゴイと思うのが、この普通さだ。
普通のど田舎の主婦をやりながら、彼女は独身の頃のタラ〜っとしたカメのままだということだ。
ちなみにこのカメは私が付けたニックネームだ。まったりした話し方も、へら〜っとしたタレ目顔もカメのようなトロさだからだ。
「あんたはカメの方が似合う」と言ったところから、この名前が決まり、名付け親としては彼女を見るたびにまったくぴったりの名前を付けたものだと我ながら感心している。
カメがカメのままでいるということは、彼女がどんなに自分を忘れずに意識的に生きているか、だ。
普通の主婦を務め、おしんばあさんと付き合い、子育てをしながら、彼女は昔からの自分なりの保育所を作りたいという夢に少しずつ近づいている。その間、若い頃から続けていた「詩」も書き続けている。
いつも悩み、いつも考え、いつも転び、いつも起き上がり、それでもカメのままで、へへえ〜っと私の前に、ばあちゃんが精魂込めて作った野菜を山ほど抱えてやって来る。確実に変化し、進化しながら。
カメと会うのは一年に数回だけど、互いに多忙なふたりが会うときは何の計画も立てる必要がない。
ふっと、ひらめくサインに従えばいいだけだ。
その時、彼女の時間はなぜか空いていてすぐにセッティングができ、会えばすぐに昨日別れたかのように話が始まり、不思議に同じような問題を抱えて、ふたりで、ああだこうだと話しが盛り上がる。
カメのような一歩でも、生活をして仕事をして地に足を着け、止まらずに前を向いて歩いている彼女に会うたびに私は励まされている。ふたりとも何も変わりたくないから、変わりながら自分でいることを保っているのだと思う。
こんな同士がいることに本当に感謝している。
カメ、私らは悩み倒しながらも螺旋階段は上がっているよ。
また、会う機会がやって来たら、山越えてやって来てね〜